アメリカ留学体験記
1990年代のアメリカ留学体験記。行った時期:1990年4月〜1993年7月、滞在期間:約3年

気分はラジオパーソナリティ

2018/11/14

アメリカに渡ったばかりの当初は、大学の入学に必要となる英語力をつけるため、現地の語学学校に通っていました。私が通っていた学校には、私と同じように英語を学ぶために、世界各国から来た多くの生徒達がいました。

クラスは、入学した時点での英語のスキルレベルによって分けられて、同じ英語レベルの人達が一緒に学べるようになっていました。私が勉強していたクラスは、比較的英語の読み書きやヒアリング・スピーキングのレベルがそこそこある人が多かったです。

授業は、テキストをもとに先生の講義を受けながら(もちろん全部英語)文法を勉強したり、実際に声に出して発音の練習をしたりと基本的な勉強スタイルもありましたが、どちらかというと、皆で言葉のゲームをしたり、チーム同士で討論をしたりと、参加型の授業が多かった記憶があります。

そんな中でも特に記憶に残っている授業は、クラスの皆で30分程の架空のラジオ番組を作ることでした。皆でわいわいとアイデアを出しながら、ラジオ番組の全体構成や流れを考え、そしてメインパーソナリティや、各種コーナー、そしてラジオ内で流す音楽や曲の紹介などを行う担当を、皆で割り振りました。

私が担当したのは、ラジオ内で流す音楽の選曲と、その曲の紹介をすることでした。流す音楽は、具体的に何の曲だったかは忘れてしまいましたが、その当時アメリカで流行っていたナンバーを選んだと思います。そして、その曲を流す前に英語で曲紹介をするのですが、何を話すかを必死に考え、それを上手に喋れるように何度も練習しました。

そして、いよいよ架空のラジオ番組のオンエアです。先生が録音を開始したのを合図に、メインパーソナリティ役の友人がしゃべり始めました。もともと彼は、流暢に英語を話せていたので、かっこよくてすごく羨ましかったです。

そしていよいよ私が担当していた音楽コーナーになり、たどたどしい英語でしたが精一杯曲紹介をして、用意していた曲を流しました。とても短い時間でしたが、とても疲れました。無事に全部のコーナーが終わり、先生が録音を止めてようやく私たちのラジオのオンエアが終わりました。

その後、録音したラジオ番組をみんなで聞きましたが、全体的にやっぱりなんだかたどたどしかったです(笑)でも、みんなの緊張感や必死な気持ちが現れていて、とても貴重な授業となりました。

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ライタープロフィール

ぷれちゃん/男性/年齢:40代/千葉県在住/アメリカの学校を卒業後、日本に帰国し営業職を経てIT業界に転職。システム開発やWeb開発を経験して、現在は熱血システム講師をしています。とにかく好奇心旺盛で、大好きな車に乗りながら、日本各地に温泉グルメドライブしています。