アメリカ留学体験記
1990年代のアメリカ留学体験記。行った時期:1990年4月〜1993年7月、滞在期間:約3年

大いに学んで遊んだ学校生活

2018/08/02

ポートランドにあった語学学校を経て、セイラムにある学校へと無事に入学した私。お気軽モードで学校生活を楽しもうと思っていたのですが、そうは問屋が卸してくれませんでした。

実はアメリカの学校は、単位を取るのが簡単では無く、授業への遅刻や欠席などが厳しく管理されています。また、当然途中途中にあるテストの点数は重要視されるのですが、それ以外にほぼ全ての授業で毎日出される宿題がかなりの強敵でした。

少しでも早く卒業したかった私は、できる限り多くの授業を受けていたのですが、それがそもそも無茶でした(^^;)。午前中は物理の実験と講義、午後は数学と心理学、そして地理など・・・。一番最後の授業が終わる頃にはすでに夜。そして、それぞれの授業で宿題が出されるので、帰宅してからヒーヒー言いながら毎晩遅くまで宿題をこなしていました。

当たり前ですが、授業は全て英語。テキストも宿題も全て英語。ただでさえ理解に苦しむ物理や数学などの内容に加え、それを英語で理解しなきゃいけなかったので、辞書を片手に、本当に毎日必死でした。多分あの時が人生で一番勉強していたと思います。もっと早くからちゃんと勉強してれば、人生もう少し楽だったかもしれません(^^;)

平日は毎日勉強しまくりの日々で本当に辛かったのですが、その分週末はアメリカ生活を思いっきり楽しんでいました。友人宅に集まって毎週末のようにビールやピザを持ち寄ってパーティをしまくっていました。あと、自分の周りで何故かボーリングが流行っていて、事あるごとにボーリングに行っていました。あまりにもよく行っていたので、腕もみるみる上がり、当時は驚く程のハイスコアを叩き出していました。

そんな感じで、自分に飴と鞭を上手く使い分け、大いに勉強して大いに遊んだ素晴らしい学校生活となりました。あの時経験した「苦労」と「楽しみ」は、今の私の人生においての糧となっています。

日本に帰ってきてからもう数十年。すっかり英語を使うことも無くなり、ほとんど忘れてしまっていますが、娘からは「英語のできるパパ」として頼りにされている自分を少しだけ誇りに思っています。

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ライタープロフィール

ぷれちゃん/男性/年齢:40代/千葉県在住/アメリカの学校を卒業後、日本に帰国し営業職を経てIT業界に転職。システム開発やWeb開発を経験して、現在は熱血システム講師をしています。とにかく好奇心旺盛で、大好きな車に乗りながら、日本各地に温泉グルメドライブしています。