アメリカ留学体験記
1990年代のアメリカ留学体験記。行った時期:1990年4月〜1993年7月、滞在期間:約3年

ボーリング三昧の日々

2018/09/21

オレゴン州のセイラムという町に住んでいた頃、日中は学校で授業を受けて、夜は宿題に追われる日々でした。私も含めて皆勉強漬けの毎日でしたが、たまに誰から誘うでも無く、いつの間にか友人たちと近所にあったボーリング場に集まることがありました。

私が住んでいた所の近くには、アミューズメント的な施設が少なく、皆で集まって遊ぶとなると大体、友人宅に集まっての盛大なビアパーティかボーリングでした。あの頃は、結構頻繁にボーリングで遊んでいたので、嫌でも腕が上がっていきました。アメリカに行く前のスコアは、だいたい100を少し超える位でしたが、日本に帰ってくる前には余裕で200を超える位になっていましたね(笑)あの頃は、ターキー(3回連続ストライク)とか出しても、皆そんなに興奮しなくなっていましたし。

個人スコアで競いあうことはもちろんやっていましたが、面白かったのはチーム戦でした。利き手じゃない方の手しか使っちゃいけないルールとか盛り込んだりして、皆で上手くかばいあいながら、戦っていました。

あと、私達が通っていたボーリング場は、ある時間になるとレーンの上の照明を消してピンの近くだけスポットライトを照らし、色の違うピンを倒せると1ゲーム無料のチケットが貰えるフィーバータイムみたいな演出があって、そのフィーバータイムになると、もともと陽気なアメリカ人達が更に盛り上がって喜んでいました。

その当時のボーリング場で忘れられないエピソードが1つ、私の頭に強く残っています。その日も学校が終わって宿題をある程度片づけた後、皆でいつものボーリング場に集まりました。そして、何ゲームか遊んでいたのですが、私は宿題を1つやり忘れていたことに気づき、皆に事情を話して先に家に帰ることにしました。

使っていたボールを片づけ、急いで車に乗って自宅に向かいました。しかし、運転していてなんだかいつもと感覚が違うな〜〜なんて思っていたら、なんと私はボーリング場で借りたボーリングシューズのまま車を運転して家に向かっていたのです。思わず一人で大爆笑してしまいました。

すぐに、ボーリング場に戻り、そそくさと自分の靴に履き替えてボーリングシューズをこそっと返却しておきました。こっそり返したつもりでしたが、バッチリみんなにバレていて、その後は話のネタにされました。

皆さんも、ボーリングシューズはきちんと履き替えて帰るようにしましょうね!

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ライタープロフィール

ぷれちゃん/男性/年齢:40代/千葉県在住/アメリカの学校を卒業後、日本に帰国し営業職を経てIT業界に転職。システム開発やWeb開発を経験して、現在は熱血システム講師をしています。とにかく好奇心旺盛で、大好きな車に乗りながら、日本各地に温泉グルメドライブしています。