アメリカ留学体験記
1990年代のアメリカ留学体験記。行った時期:1990年4月〜1993年7月、滞在期間:約3年

愛車のトラブル、結果オーライ

2018/09/27

アメリカで購入した、中古でボロボロの初代プレリュードが私の愛車でした。購入時点ですでに10数年も乗り継がれてきていて、前オーナーが自分で修理した跡がいたる箇所で見られました。ボンネットの中の配線はテープで補修されて継ぎはぎだらけだったり、車内のバックミラーもなんとかくっついている状態。ドアの引っかかりも弱かったのか、そこそこスピードが出ている状態で、急カーブを曲がると遠心力でドアが開きそうになる(^^;)ので片手で押さえながらカーブを曲がったり、他にどんなトラブルが出てもおかしくない状態で乗っていました。

ある日、ポートランドのダウンタウンを走っていた時のことです。ポートランドのダウンタウンは坂道が多かったので、信号で止まると半クラッチを上手く使って走り出す必要があるのですが、その時もまた坂道での信号待ち。信号が青になったので、いつもの通り半クラッチでギアを繋いで坂を上ろうとしたのですが、なんだかいつもと違ってノロノロ発進。

アクセル踏んでもほとんどスピードが上がらず、どうにか坂を上ったところで車を停めることができましたが、どうやらクラッチ板が滑ってしまっていたようです。仕方が無いので半クラッチを駆使しながら、騙し騙し車を走らせ自宅近くの激安修理工場までなんとか辿りつくことができました。

お店の人に車の状態を話して確認してもらったところ、やはりクラッチ板が原因で交換しないとダメでした。きちんとしたディーラーで修理してもらう予算は無かったので、そのままそこの修理工場で修理してもらうことにして車を預け、その日は友人に迎えに来てもらい帰宅しました。後日、工場から修理が終わったとの連絡があり、再び友人に乗せてもらって愛車を迎えに行きました。

早速エンジンをかけて、帰ろうとクラッチ踏んでギアを入れたところ、なんだかいつもと感触が違う。クラッチの踏み加減が踏むたびに微妙に変わり、クラッチを踏む足の神経を研ぎ澄まさないとすぐエンスト。おそらくクラッチの油圧ホース内にエアーが入ってしまっていたのだと思います。そこの修理工場の技術は、激安値段相応でした・・・( ノД`)シクシク…

すでに途中まで帰ってきてしまっていたし、他の修理工場で直してもらうお金も無かったので、そのまま乗り続けることにしました。最初は踏み加減で苦労しましたが、徐々にその感覚を体で感じられるようになり、私以外の人では乗りこなせない車となったので、盗難の心配も無くなりましたね。

まぁ、結果オーライとしときましょう。

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ライタープロフィール

ぷれちゃん/男性/年齢:40代/千葉県在住/アメリカの学校を卒業後、日本に帰国し営業職を経てIT業界に転職。システム開発やWeb開発を経験して、現在は熱血システム講師をしています。とにかく好奇心旺盛で、大好きな車に乗りながら、日本各地に温泉グルメドライブしています。