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大阪/叡福寺 聖徳太子の墓がある場所

2013/02/27

自由都市だった堺の南宗寺

自由都市だった堺の南宗寺

自由都市だった堺の南宗寺

南宗寺

日本の歴史上、最も有名な人物として名前が挙がる、聖徳太子。この聖徳太子ゆかりの観光スポットといえば、奈良の法隆寺や大阪の四天王寺などがよく知られています。一方、聖徳太子の墓が大阪・太子町の叡福寺にあることは、意外と知られていないかもしれません。

叡福寺は、聖徳太子の墓を守護する目的で、当時の女帝だった推古天皇によって建立されたと伝わります。そして奈良時代、東大寺の大仏を建立したことで有名な聖武天皇が、叡福寺の大伽藍を整備したとも伝わり、聖徳太子が信仰を集める霊場として今日に至ります。ただ、安土桃山時代、織田信長による兵火によって一時、全山が消失してしまったものの、豊臣秀吉の息子、秀頼が聖霊殿の再建からスタートし、伽藍も順次、再興されていったそうです。これまで数々の歴史上の出来事にほんろうされていった過去がうかがい知れます。

そもそも、太子町という地名が、聖徳太子に由来するのは、誰が考えても明白。ただ、太子町に行くのはなかなか不便で、大阪の端の方に位置し、近鉄電車の本数も多いとはいえず、駅からバスでしか叡福寺にアクセスできません。だから、車やバイクを使ってでしかこの叡福寺まで行ったことはないけれど、まわりは大阪とは思えないほどのどかな光景が広がっていて、ドライブやツーリングにはピッタリ。

太子町にはほかにも、推古天皇をはじめ、用明天皇や孝徳天皇などの墓があり、ほかにもさまざまな古墳、さらに聖徳太子の命令で遣隋使として中国に渡った小野妹子の墓もあります。一方、日本最古の官道、つまり国道として整備された「竹内街道」も、太子町を通っています。かつてこの街道を通って、難波宮から飛鳥を行き来したのでしょう。今でもその街道沿いで古い街並みが少し残っているエリアも太子町にありました。

古代に栄えた飛鳥につながる太子町にはさまざまな歴史のミステリーがあるそうな。小さな町だけど、古代ロマンを存分に感じることができました。

叡福寺(太子町観光情報)

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ライタープロフィール

AKIさん/女性/年齢:30代/大阪府在住、自己紹介:日本と世界を旅しています。好きなモノは、ご当地グルメ・スポーツ観戦・空港・鉄道・歴史・温泉など。大きめのバイクにも乗ります。海外のサーキット行脚もライフワーク。