京都・大阪・奈良のパワースポット
縁結び、悪縁切り、玉の輿、厄除、商売繁盛、金運、学業成就、健康などご利益のあるパワースポットを紹介します。

奈良/二上山 悲劇の皇子・大津皇子が眠る

2013/02/05

二上山の麓にある道の駅ふたかみパーク當麻

二上山の麓にある道の駅ふたかみパーク當麻

大阪方面、もしくは奈良方面から山を眺めると、大きい山と小さい山が並んでそびえているのが見えます。これが、二上山。標高は474.2m。実際に二上山は登山もでき、土日には登山愛好家の中高年たちがたくさん集まり、登っているのを見かけます。自分はまだ登ったことはありませんが、まわりにある葛城山や金剛山よりもあまり開発が進んでいない分、けっこうハードだと聞いたことがあります。二上山はそれほど遠くないので一度、登ってみたいのですが・・・・・

なぜ、二上山がパワースポットなのかというと、奈良時代、天武天皇の子で謀反の疑いをかけられて死罪となった大津皇子の墓が、この二上山の山頂にあるからです。

大津皇子は、天武天皇の第3皇子で、母は天智天皇の長女にあたる大田皇女。大田皇女は、同じ天武天皇の妻となった持統天皇の姉にあたります。大津皇子は、父に似て活発に育ち、一方、持統天皇の子である草壁皇子はやや消極的な性格だったため、一部で草壁皇子ではなく弟の大津皇子を次の天皇、つまり皇太子にしようという動きが朝廷に起こりました。この動きをおもしろくないのが、持統天皇。当時はまだ天皇ではなかったのですが、大津皇子の母である大田皇女はすでに亡くなり、実質的には天武天皇の第一の妻の立場であり、なんとしてでも息子の草壁皇子を皇太子にしたい。そんな思惑の中、大津皇子が他の皇子らとともに動きを起こそうとしたところ、持統天皇らによって謀反の疑いが持たれて失脚。大津皇子は死罪となり、もとは別の場所に墓があったのを、さらに都から遠方の二上山に移されたと言われています。

この大津皇子の悲劇は、のちに草壁皇子が皇太子のまま病死したのにも関わっていると言われています。以後ずっと、二上山の山頂から奈良の推移を見守り続けてきた大津皇子。雄岳山の山頂近くの古墳が大津皇子の墓で、誰もが参拝できます。ちなみに、奈良県葛城市にある烏谷口古墳も、もう1つの大津皇子の墓といわれています。

関連記事
ライタープロフィール

AKIさん/女性/年齢:30代/大阪府在住、自己紹介:日本と世界を旅しています。好きなモノは、ご当地グルメ・スポーツ観戦・空港・鉄道・歴史・温泉など。大きめのバイクにも乗ります。海外のサーキット行脚もライフワーク。