営業職の体験記
「営業職のオモシロさ」「受注を取り逃がした苦い体験」「仕事を円滑に進める社内営業」など、14年間の営業職体験から得た事を紹介します。

一生懸命は、自分を変える

2012/09/10

実をいうと、私は子どもの時分は、吃音、つまり"どもり"だったのです。そんな私でしたから、学校の授業で教科書を読むことと、友達と話をせざるを得ないような時には、今にも泣き出しそうにもなったものでした。とくに授業などで本を読まされるのは、苦痛以外の何物でもなく、ともかく読んでどもればクラスのあちこちでクスクス笑い出す始末で、そうなると学校の先生などというものは冷たいもので、むしろそれが面白くて、わざわざ私に本を読ませているのではないかと思ったほどでした。

とくに中学になると、学校の先生との陰険さには、子どもながら憤りを隠せないといったことがしばしばあり、それも理由の一つとなって、ともかく学校の先生だけにはなるのはよそうと思ったものでした。でも、それは、ずっと後になって分かったことですが、私の誤解だったのです。ともあれ、そんな私が高校大学へと進み、さらに卒業して営業職ともなると、子どもの時分とは違いわがままなど通用せず、どもりであろうがなかろうが、ともかく喋らなければ生きて行けない世界に身を置くことになったのです。当初は、ともかく不安で、あまり同僚たちや先輩たちとも口を利かず、ともかく無口な男として通っておりました。

そして、どうしても話をしなければならないときには、自分がどもりであることは自分が一番よく分かっていることでしたので、どうしたらどもらないで喋ることが出来るのかを自分でも研究し、その結果、人よりもゆっくりと一言一言を区切るかのような喋り方をしていたものでした。ところが、営業という仕事は、喋らなくて良い日などという日はまったくないのです。会社に出勤しても、客先でも、ゆっくりと一人で事務を執っている時ですら電話がかかってくれば、大汗をかきながらでも、それに対応しなければなりません。

毎日毎日、来る日も来る日も、自分のどもりと戦いながら、懸命に喋ることに努力せざるを得ないという環境に身を置いていた私は、ある日のこと、ふと、自分が人並にペラペラと喋っているのに気づかされました。一口にどもりと言っても程度の差があるのでしょうし、そのため一概に言い切ることはできませんが、案外、そんなことが気にならなくなるぐらいに忙しくしていれば、自然と治ってしまう場合もあるものなのだということが、その時、はじめて分かりました。と、同時に、だからこそ学校時代の先生が、よく私に本を読ませていたのだということにようやく気付き、遅まきながら感謝の念を深くしたのでした。

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ライタープロフィール

ガクドウさん/男性/年齢:50代/横浜市在住、サラリーマン時代から、文章を書く仕事に携わっていた関係から、現在はライターを職とするようになりました。人からちょっと変っていると言われますが、その分、ちょっと違った角度から物を書くことが出来ると思っております。よろしくお願いします。/ブログ