- シャーロック・ホームズをめぐる旅
- ホームズがいた街ってどんなところ?ホームズについての面白い話を紹介します。
スコットランド・ヤードは「グレート」か「ニュー」か
2010/09/15
ホワイトホール――といっても、建物ではなく、通りの名なのですが、「ストリート」も「ロード」もつきません。ここは、いわばロンドンの永田町。周辺には国会議事堂(「マスグレーヴ家の儀式書」他)、海軍省(「ブルース・パーティントン設計書」他)、首相官邸(「第二の血痕」他)などがあります。
首相官邸は、ダウニング街(ストリート)10番地。たしか11番地は大蔵大臣の官邸です。政治家に「Downing」なんて、縁起でもないと思うのですが、これは「ジョージ・ダウニング卿」なる人にちなむもの。清教徒革命のときはクロムウェルにつき、王政復古近しと見ればチャールズ2世に取り入って、まんまと男爵位を得た御仁とか。ときに「ダウニング」が「裏切り」とか「二枚舌」の意味になるのは、英国首相ではなく、このダウニング卿に由来するのだそうですが。
海軍省とホワイトホールをはさんで向き合っているのが、グレート・スコットランド・ヤード。もとはスコットランドの王さまたちの離宮があったところで、地名がそのままロンドン警視庁の通称になったとか(「桜田門」みたいなものですね)。
「19世紀末まで、ここにスコットランド・ヤードがあった」(現在は、騎馬警官隊の本部)というので、ホームズの時代の「スコットランド・ヤード」は、おおむねここだと思うのですが。その「19世紀末」というのが微妙なところ。ホームズの活躍は20世紀初頭まで続き、「最後のあいさつ」は1914年の事件です。
20世紀半ばまで「ニュー・スコットランド・ヤード」はテームズ川沿いにあり、現在の「ニュー・スコットランド・ヤード」は、やや南のヴィクトリア・ストリート沿いに移っています。
ところで、グレート・スコットランド・ヤードの時代は、陸軍省と消防署も同居していたそうで、陸軍は警官や消防士にギャラを渡して、志願兵登録所の前で実戦さながらの訓練をさせ、見物に来た若者を片っ端からリクルートしていた――と、いしいひさいち氏の戦争モノ4コマのネタそのまんまみたいな話も伝わります。
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オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。