シャーロック・ホームズをめぐる旅
ホームズがいた街ってどんなところ?ホームズについての面白い話を紹介します。

セント・バーソロミュー病院からフリート・ストリートへ

2010/09/05

ホームズが初めてワトソンと出会ったのは、『緋色の研究』、セント・バーソロミュー病院の化学実験室でした。ホームズの読者ならだれでも知っている、あの「アフガニスタンへ行ってこられたんでしょう?」の不滅のひと言が発せられた場所です。

ものの本によると、セント・バーソロミュー病院は、そのとなりのセント・バーソロミュー教会を建てたレイヒアなる修行僧が12世紀に設立したという、由緒正しい医療施設なのでした。

見たい、入りたい。しかし、病院というところは敷居が高い、というか、「物見遊山」で入るのは気がひけるので、広場からながめるだけにとどめました(後で知ったのですが、イギリス医学界では今だに指導的な地位にある病院とかで、見学者相手の売店や、ホームズ関連の記念プレートも掲げられているとか。残念でした)。

「ホームズとワトソンを紹介した、キーパーソンであるべきはずのスタンフォード青年は、ただただ、ホームズとワトソンを引き合わせるためだけに存在したんだなぁ」などと思いつつ、フリート・ストリートに足を伸ばしてみましょうか。『入院患者』で、ホームズとワトソンが「変化してやまない人生の万華鏡」をながめてブラブラしたあたりです。

フリート・ストリートは、かつて新聞社が軒を連ねていたところで(今でもその名残は見られます)、記者や作家相手のバブも多かったはず。つまりは(誤解を恐れずにいえば)、インテリながらも、すっカタギともいいづらい人たちの町。おそらく、その昔の有楽町から新橋界隈の高架下周辺のような雰囲気だったのでしょう。

この雑踏の片すみに、『赤髪連盟』の事務所がありました。そうそう、明治時代、日本で初めてホームズものが翻訳されたとき(『不思議の探偵』というタイトルだったとか)、「赤髪」じゃ日本人にはピンとこないだろうということか、題して『禿頭倶楽部』。赤髪ならぬ「ハゲ頭の人、求む」という話にしたというのは、なかなか秀逸ではありませんか(いつか手に入れて読んでみたいものです)。

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ライタープロフィール

オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。