シャーロック・ホームズをめぐる旅
ホームズがいた街ってどんなところ?ホームズについての面白い話を紹介します。

金融街の「慈善家の銅像」の下で

2010/09/07

シティのスレッド・ニードル・ストリートは、ロンドンの金融街、東京でいえば兜町というあたり。それがどうしてスレッド・ニードル(縫い針)かといえば、かつてこの地に洋服生地商会があって、その紋章が3本の縫い針だったから――といううんちくを書いたついでに、この街の代表的な建物「イングランド銀行」が別名「スレッド・ニードル・ストリートのオールド・レイディ」である由来の一席を。

正面の破風の上に鎮座するレリーフの女神?像のことだというのが一説。もうひとつは、サラ・ホワイトヘッド嬢という19世紀初頭に実在した人物で、この銀行に勤めていた彼女の兄が小切手の偽造で絞首刑に。それを信じぬサラ嬢は20年以上、この銀行に兄の姿を求めて通いつめ、オールド・レイディとなり、ついに幽霊になり果てても、いまだに……というお話です。

イングランド銀行のとなりが、「王立証券取引所」。『株式仲買店員』のパイクロフト氏を思い出します。現在の王立証券取引所は近代的な建物に建て替えられていますが、先物金融取引所として、"ギリシャ神殿のような"(としか形容できない自分のボキャブラリーが情けない)「旧王立証券取引所」は残っていました。

「緑柱石宝冠事件」のホールダー氏が首席頭取を務めていた「ロンドンのシティでも二番目の民間銀行」も、おそらくこのあたりにあるのでしょう。

「唇のねじれた男」ことヒュウ・ブーン氏がその稼業に勤しんでいた「スレッドニードル街をすこしゆくと……左側の塀がちょっと角をつくっているところ」は、残念ながら、シカとはたしかめられませんでした。

一説によると、ジョージ・ピーボディの銅像の下あたりなのだそうですが、「左側の塀が……」となってはいません。ただし、ピーボディ氏はアメリカ人の慈善事業家とのことで、なるほどブーン氏の物乞いという稼業にはまことに似つかわしい場所ではありました。

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ライタープロフィール

オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。