英語塾講師の体験記
英語塾講師として働いた経験を紹介します。

塾講師の仕事

2012/05/15

以前、同じ業界の大先輩と話す機会があり、次のような問いをいただきました。

「塾の役割・存在とは何か」

こういった哲学っぽい話をする人間はどの業界にもいるのでしょうが、子どもにたずさわる職種だからか、この手の話は同業者からよく聞かされます。その人の解答はなんだったか。確か「公教育がだらしないから、私塾が教育界を下支えしているんだ」とかなんとかだったと思います。鶏が先か、卵が先か、的なところもありますので、手放しで賛同する必要もないのでしょうが、確かに一理ある言葉だと思います。イデオロギーとして塾を語るなら、多少の違いはあれ、こういった説明になるのでしょう。ただ、私は個人的にあまりそういったところに拠り所を求めたくありません。教育うんぬんなどと言い出すと、様々な面で矛盾が出てくるからです。

例えば、我々の仕事に生徒や生徒の親、もっと直接的な言い方をすれば、顧客は何を求めているのか、ということです。公教育だなんだ、ということを、我々が求められているとは思えません。ずばり、「成績を上げること」「志望校に合格させること」、これが本質でしょう。そうであるならば我々がやるべきことは一つ。成績を上げて志望校に合格させればいいわけです。それこそ公教育なら「社会が求めること」に基づけばいいのでしょうが、我々はあくまで私企業ですので、当然営業利益というものを考えなければなりません。そんな環境で、試験に出ないことを「教育的に必要だから」といった枕詞をつけて語っても、まったく見当違いというものです。

冒頭の話に戻せば、私塾が公教育を補っているということに全面から反対するわけではありません。ただ、仮にそういった面があるにせよ、それは我々が意図したことではなく、あくまでこの塾乱立時代がもたらした偶然の結果だと思います。教育に携わる以上、個人個人それなりの哲学や信念は持っていた方がいいのかもしれませんが、理念だけの塾に発展性はないでしょうし、少なくとも、それだけが塾の本質では決してないと思います。

関連記事
ライタープロフィール

横浜ホームズさん/男性/年齢:30代/横浜在住、福岡から横浜に来てはや10数年。もはや博多っ子と浜っ子の境を見失う30男。美しいものが好き。だけど醜いものはもっと好き。人生、味がある方がいいよね。