歴女の歴史を楽しむ旅
歴史を知ると訪れる場所がもっと面白くなる。歴史を楽しむ旅。

福島県/日本の夫婦の「伝統」とは……?〜会津松平家の墓所で〜

2010/05/08

子どものころから、「お墓を見てまわるのが好き」という妙な趣味があって、そのお墓の主は有名無名を問わないのですが、歴史上の人物のお墓ならば、これは不謹慎ながらも「大好物」なのです。

会津を訪ねたとき、松平家の霊廟も当然コースに組み込んだのですが、これがなかなかの「遠足」でした。とにかく広い。「ここは真夏に来るもんじゃないな」と、汗をふきふき坂道を登っていくと、死者の霊を守るという亀型の台座に乗った、見上げるような高さの石碑がならんでいました。神式でまつられているようです。

ガイドブックなどには、「2代正経公から9代容保公まで、暦代藩主とその夫人、子どもたちの墓が……」などとなっているのですが、藩主夫人のお墓は、私が見た限り、ここにはありません。お世継ぎのご生母さまになった側室のお墓はあるのですが。

大名の正室は、たいてい実家か嫁ぎ先の江戸の菩提寺で眠っています。家付き娘の容保公夫人・敏姫も、江戸の松平家の菩提寺に葬られました。正室は江戸住まいなので、しかたがないのかもしれませんが、夫は神式でも、夫人は仏式です。徳川将軍家でも、家茂夫人の皇女和宮が「夫の隣に埋めてほしい」とわざわざ遺言し、「美談」となりました。その和宮(静寛院宮)のお墓も、菊と葵の紋が彫られていて、「皇室出身」であることをキッチリ示しているのです(東京の増上寺の徳川家霊廟はお花見シーズンなどに限定的に公開)。

日本では、歴史的に、夫婦でも、庶民でも、お墓は一人ひとり独立していたし、「○○家先祖代々の墓」なんてものはなかったはず。そもそも江戸時代は庶民が姓を名のるのは許されなかったし、武家や公卿の夫人のお墓は、「東野西兵衛室南川氏」とか、必ず実家の姓が刻まれています。

夫婦別姓に反対する方は、「夫婦が同じ苗字を名のるのが、日本の伝統」などとおっしゃいますが、日本史上有名な「夫人」といえば、源頼朝夫人の北条政子、足利義政夫人の日野富子。日本史のテストで、「尼将軍」の名前を「源政子」と書いたら、バツでしょう。

夫婦が同姓なんて「伝統」は、ここ100年かそこらのこと。薩長新政府がつくった、家父長主義の「家」制度じゃないかと、真夏の会津、その猛暑は覚悟していたとはいえ、何かに八つ当たりしたくなった午後でした。

関連記事
ライタープロフィール

オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。