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岩手県/日の丸は「賊」の旗印だった〜宮古湾海戦の跡を訪ねて〜
2010/05/08
仕事で花巻温泉に行く機会があり、「それなら、盛岡から山田線に乗って、宮古に行ける」と思い立ったのですが……。盛岡から宮古まで、快速で約2時間。山田線のその快速も、1日に2〜3本なのですから、「宮古に行く観光客って、よっぽどの幕末好きか、ローカル線好きだな」(私は、その「よっぽど」のクチ)と踏んでたのですが……。
そういえば、典型的なリアス式海岸である宮古湾は、名だたる景勝地。しかも、新鮮な魚介類が豊富とあって、宮古湾まで来てみれば、けっこう観光バスもならんでいます。しかし、しかし……。「宮古湾海戦」にちなむ石碑などは、どれも私が訪れたときは、あまり訪ねる人もなく……といった雰囲気でした。
戊辰戦争では、ここ宮古湾で、「官軍」(新政府軍)の甲鉄艦(ストーン・ウォール)――当時、おそらく国内最強の軍艦――を乗っとってやろうじゃないかと、「賊軍」(幕府脱走軍)の艦隊が箱館から向かったのです。
甲鉄艦は、もともと幕府がアメリカに発注していた船なのに、届いたときには、大政奉還。それを官軍が手に入れていたのです。向かう幕府脱走軍、旗艦・回天のほか3艦の計4艦、新政府軍も甲鉄艦ほか計4艦。脱走軍の作戦は、甲鉄艦に接舷して、艦上になだれ込んで斬り込むという、大胆なものでした。しかし、途中で暴風雨にあい、回天以外の3艦が離脱。結局、回天1艦で甲鉄艦に斬り込んだのですが……。
回天の甲板は、甲鉄艦より1丈余り(3メートル以上)高かった。2階から飛び降りるようなもので、どっとなだれ込むというわけにはいかず、艦長の甲賀源吾以下、多くの兵が甲鉄艦のガトリング砲の餌食に。命からがら箱館に帰りつくことになりました。
ところでこのとき回天が、なぜ大砲を備えた甲鉄艦に接近できたのか。アメリカの国旗を掲げていたんですね。で、接舷直前に日の丸に変えた。そうです、日の丸です。日の丸(日章旗)は、「賊」とされた幕府脱走軍の旗なのでした。
何度も暴風雨で軍艦を失った苦い経験から、脱走軍の海軍奉行だった荒井育之助は、気象学の必要性を痛感し、箱館に気象台をつくり、後に(新政府で)中央気象台の初代長官になります。
なお、盛岡〜宮古間は、急行バスが山田線より頻繁に出ているようで、帰りは、さすがの私もバスの乗客となったのでした。
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オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。