歴女の歴史を楽しむ旅
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新潟県/ここも北越戦争の舞台だった〜柏崎の一角で〜

2010/05/08

新潟県柏崎市――。「幕末モノ」のドラマが放送され、ゆかりの地がブームになっても、この町に観光客が押し寄せたことはないでしょう。むしろ、越後上杉家ゆかりの史跡のほうが知られています。私も、出張で寺泊まで出かけてなければ、ここを訪ねていたかどうかはわかりません(実は、著名な珍品コレクター石黒敬七氏の収蔵品を展示する「とんちン館」のほうが目当てでした。おもろい迷品ぞろいでしたが、現在は「こども時代館」とリニューアルされ、展示内容も様変わりしたようです)。

幕末や戊辰戦争に興味のある方ならご存じの「北越戦争」の舞台のひとつです。北越の戦と聞いて思い出すのは長岡藩、家老・河井継之助でしょう。でも、それはひとまず置いておきます。柏崎はどの藩に属していたか。それが、意外なことに当時は伊勢桑名藩。分領とはいえ、幕府からの預かり地も含めれば、ここに10万石以上の領土を持っていました。

鳥羽・伏見の戦い後、桑名藩では、官軍に恭順すべきだとする「恭順派」と、戦うべきだとする「主戦派」の意見が真っ二つに別れ、殿様不在の国元では「恭順」と決定。主戦派のメンバーが柏崎に集まったのです。その主戦派のトップが、江戸から「謹慎」の名目で柏崎に向かった殿様・松平定敬公。会津の殿様・松平容保公の実弟です。

謹慎どころか、あくまで徹底抗戦を唱える定敬公は、柏崎で恭順派の家老、吉村を側近に暗殺させ、後には会津、米沢へ。ついには箱館まで行ってしまいます(いくらなんでも、そりゃアブナイと、家老の酒井らが説得とお迎えに参上します)。

ただし、あくまでも殿様にしたがった「主戦派」の桑名藩士たちは、北越各地を転戦し、会津で戦い、最後は箱館新選組に入隊。

分領で、お城もなかったためか、柏崎で「桑名藩」の名残を見ることはできませんでした(石碑などもあるはずですが、次の予定があるため断念)。駅前は、地方都市としてはごくふつうの、たとえば東京近郊でもよく見られるような、商店街です。でも、ここから「あくまでも闘い抜くべし!」と戦に飛び出して行った若者たちが、後に、陸軍中将として日露戦争の英雄となったり、一橋大学や東京銀行・三井銀行の基礎を築いたり、三菱造船所の所長になったり……。柏崎には、そんな史話もあるのです。

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ライタープロフィール

オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。