歴女の歴史を楽しむ旅
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青森県/今なお続く?「一山百文」の思い込み〜青森、盛岡で〜

2010/05/08

はじめて盛岡の駅に降り立ったとき、私の正直な感想は、「へぇ、こんな大都会だったんだぁ」でありました。それは、青森でも同じこと。県庁所在地で、東北新幹線のターミナル、アーティスティックな高層ビルやスタイリッシュなファッションビルが建っているのは当たり前じゃないですか。でも……。

テレビ番組でも、雑誌の特集でも、「旅情を求めて」となると、「いかにもその町らしい」と、遠方の人たちがイメージするような風景をピックアップするんですよね。東北地方なら、「演歌」の世界。港に酒場にひなびた宿に、雪が降ってなければなりません。

そのうえ、子どものころに植えつけられた先入観も。教科書では、たとえば、昭和初期の恐慌や不作の影響で、「娘たちが売られた」のが東北地方。出稼ぎや集団就職の資料写真といえば、東北本線「上野駅」。それやこれやで、「僻地」としてのイメージを持たされていたのです。昭和の末期になってもなお、関西出身の財界人が、そんな意味の発言をしてました(おかげで、いまだにそのブランドは東北方面では旗色が悪いとか)。

明治時代はもっと露骨に、「白河以北は一山百文」なるいい方もあったと。要するに、東北なんて二束三文だというのですね。南部(盛岡)藩の家老の孫だった首相・原敬は、「ふざけるな」と敵愾心を燃やしたのでしょう。俳号を「逸山(一山)」にしたそうです。

カッコイイんですよね、原敬(盛岡市内に記念館があります)。「平民宰相」と呼ばれたそうですが、彼は政界トップの座についても、絶対に爵位につかなかった、つまり華族にならなかったのです。「薩長藩閥政府のつくった華族制度なんか、ありがたれるか」と思ってたはず……というのは、私の勝手な憶測ですが。

平成になってもなお、「東北各藩が、官軍と闘うことになったのは、中央の情報に乏しく、事情がわからなかったのだ」といった論調を読んだりします。中央との距離でいえば、薩長土肥だって同じこと。要するに、東北地方は、時代の進展がわからない僻地だったから、「賊」になったという解釈です。薩長藩閥政府の考えが、いまだにしみついているのかもしれませんね。

「へぇ、こんな大都会だったんだぁ」と思った私も、そんな「賊」観に毒されていたのでしょう。白石城の3Dハイビジョンシアターならずとも、「賊にはあらず」の主張が今も続いているのは当然かもしれません。

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ライタープロフィール

オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。