歴女の歴史を楽しむ旅
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北海道/「野ざらし」と侠客たち〜函館・五稜郭周辺で〜

2010/05/08

箱館で最期をとげた土方歳三は、どこに眠っているのか。五稜郭内に埋葬されたようなのですが、この場所は判然としません。司馬遼太郎先生の『燃えよ剣』の愛読者なら、箱館に日照雨が降るころ、称名寺に歳三の墓を訪ねるひとりの婦人の姿があって、それは――でなければならないのですが。

五稜郭の戦では、「賊軍」の遺体は、埋葬することを許されず、放置されていました。それを見かねた地元の侠客・柳川熊吉が、子分を使って実行寺やその他に埋葬した――。

「ん? どこかで聞いたような話」です。

「賊」の遺体は、「官軍」の命によって、野ざらしにされたというのは、戊辰戦争のどの戦場でも同様です。会津でも、「薩長の命令によって、藩士の遺体は放置されていた」と語り継がれてきました(近年の調査では、必ずしもそうではなかったとされています)。

あの有名な侠客・清水次郎長が後世、小笠原長生(後の海軍中将)に語ったところによると、当時、清水港のあたりでも海戦があり、「賊軍」の遺体は「後難を恐れて」放置されていたと。つまり、ここでは「官軍」から命令が出されなくても、「かかわったら、あとでヤバイことになる」と、だれも手を出さなかったのですね。

「これはいかにも気の毒だ」と子分どもに命じて、その遺体をねんごろに埋葬し、「宗旨がわからねえ」から、近隣の全宗派の僧侶を呼んで盛大な法要を催したというのが、次郎長親分だったのです。「どこかで聞いた話」と思ったのは、このあたりのエピソードです。

さすが、「弱気を助け、強気をくじく」侠客たち(といっても、その活動資金の集め方は、こんにちの暴力団とどれほどの違いがあるのかわかりませんが)。

お江戸は新門の辰五郎親分は、最後の将軍・徳川慶喜の身辺警護に、京都まで200人の子分たちを差し向け(娘も夜のお供に差し向けて)、戊辰戦争では、鳥羽・伏見の戦から箱館まで、新門一家のいなせな兄さんたちの屍が続いていたとか。

とすると、上野(東京)で闘った彰義隊の遺体が「賊軍」であるがために放置され、初夏のこととて、その異臭が上野の森に長くとどまっていたという、当時の人の証言にしたがえば――。新門の親分は、どんな思いでいたのでしょう。

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ライタープロフィール

オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。