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福島県/白虎隊とファシスト、ナチス、新選組との関係とは?〜会津・飯盛山で〜
2010/05/08
白虎隊の隊員たちが自刃した飯盛山には、会津若松城に向かって、隊士たちのお墓がならんでいます。そこには、昭和3年に「白虎隊に感激した」イタリアのムッソリーニ(ファシスト党総裁)が、「元老院とローマ市民」の名義で贈った記念碑(ポンペイの遺跡から発掘された石)と、昭和10年に駐日ドイツ大使が贈った記念碑も。内容はそれぞれ「武士道の精神に」、「若き武士をたたえる」というものです(太平洋戦争後、これらの記念碑は、GHQによって撤去されたり、文言が削除されたのですが、現在は復元)。
昭和13年には、ヒトラー・ユーゲントの少年たちが日本を訪問し、白虎隊のお墓参りをしています(日独伊三国同盟締結は、昭和15年)。「ヒトラー・ユーゲントの誕生と白虎隊の関係」を論じる方もいらっしゃいますが、さて、その真相は、私にはわかりません。
新選組も、会津で戦っています。「会津新選組隊長」斎藤一は、一時、会津で討死したとされていました(当地にお墓もつくられました)。が、実は名前を変えて、警視庁警部補や高等師範学校看主として、明治時代を生きていた(そうでなければ、浅田次郎先生の『壬生義士伝』が……)。
あの左ききの剣客「三番隊隊長」が帝都を守る警察官! もっとも、斎藤一はもともと「会津藩隠し目付」として、会津藩から新選組に送り込まれていたのだ――という説もあります。だからこそ、彼は箱館(函館)に向かう土方歳三と別れて、会津藩士として斗南に移ったのかもしれません。
会津の戦には、「新選組・副長」土方歳三はほとんど出てきません(局長・近藤勇はすでに刑死)。土方は、何をしていたのか。「白虎隊の少年たちと親しく談話し、激励した」との証言もあるのですが、それはどうやら斎藤一ら新選組隊士のだれかではないかとされています。そのころ土方は、宇都宮の戦で負ったケガの養生をしていたのです。
「会津の奥座敷」といわれる東山温泉で療養していたとかで、「土方歳三、腰かけの石」なるものがありました(私も腰かけてみたのは、いうまでもありません)。
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オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。