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福島県/「哀しい」と泣いてばかりはいられない〜会津若松城とその周辺で〜
2010/05/08
会津若松城、別名、鶴ヶ城とも。そういえば、タクシーのドライバーさんに、「鶴ヶ城に」といったら、「会津若松城ですね」と確認されました。いえ、あれは確認ではなくて、「訂正」でしょうか。ドライバー氏には、何かコダワリがあるのかもしれません。
たとえば、山口県の萩に行ったら、「吉田松陰」は「松陰先生」と、(やんわりと)訂正されます。仙台で「ハンソコウさまは」といわれたら、それは伊達政宗(藩祖公さま)のこと。松山では『坂の上の雲』の秋山好古は、「秋山好古大将」といいましょう(ただし、大将昇進前に早世した弟の真之に「中将」をつけるべきか……?)。
現在の会津若松城・天守閣は、昭和40年に再建されたものです。以前のお城は、戊辰戦争時に焼け落ちたから――ではありません。「お城が燃えている!」というのは、白虎隊の見まちがい(哀しいことに、それで彼らは自刃してしまうのですが)。一部は破損したものの、焼失したわけではありません。でも、明治7年に解体されてしまいます。「破損が著しかったから」というのが理由ですが、そのあたりも「やっぱり、『賊』にされたからだ。薩長の目の敵にされたからだ」と思わせるものがありますね。
会津若松城をはじめ、周辺の日新館(藩校)や、武家屋敷などの展示には、いかに会津藩士が、幼いころから厳しい教育を受け、けなげに、あるいは勇敢に「官軍」と闘ったかという資料があふれています。女性や少年も闘い、散っていく。老人や幼い子どもは、「籠城の足手まといになっては」と家族の者が手にかけ、少女たちも自刃した。ひどい、哀しい、けど、ある意味、美しい。
いえいえ、戦で死ぬことを「美しい」といってはいられません。戦が美しいわけはありません。まして、城下が戦場になれば、町民・農民にも犠牲は出たはず。でも、彼らはほとんど何も残さない。それは第二次世界大戦(太平洋戦争)も同じこと。
戊辰戦争後、会津藩士やその家族は、厳寒の地・斗南への移住を余儀なくされ、凍死や餓死を逃れても、多くの人が会津に戻ることなく、別天地を求めて去ったといわれます。すると、あのドライバー氏のご先祖は、藩士ではない……?
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オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。