歴女の歴史を楽しむ旅
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奈良県/フタガミヤマという山はない?〜飛鳥・甘樫丘で〜

2010/05/08

聖徳太子亡き後、権勢をふるった蘇我蝦夷・入鹿親子の豪壮な邸宅があったという、飛鳥の甘樫丘(あまがしのおか)に登ると、万葉集の舞台・「大和三山」といわれる天香久山、耳成山、畝傍山の展望がひろがります。

「万葉集」、「山」とくれば、あの大津皇子を葬ったという二上山は……?

地元の方にたずねてみました。「すみません、フタガミヤマって、どの山でしょう」「フタガミヤマ? さぁて……。ああ、ニジョウザンのことですか?」

二上山はニジョウザンだった!? これは恥ずかしい。でも、言い訳もさせてください。万葉集のなかで、大伯皇女が弟、大津皇子をしのんで詠んだ歌、「現世(うつそみ)の 人なるわれや 明日よりは 二上山を 弟背(いろせ)とわが見ゆ」。これは「フタガミヤマ」でなくては、歌になりません。

大津皇子と有馬皇子は、どちらも謀叛が発覚して、死を賜ります。大津皇子は、天武天皇の皇子、有馬皇子は孝徳天皇の皇子。時代としては、有馬皇子のほうがやや先ですが、本当に謀叛の計画などあったのかどうか。皇位継承に破れて、若くして非業の死を遂げた皇子たちです。

そんな悲劇の貴公子ですから、当然、「眉目秀麗の俊英」という伝説になります。有馬皇子が死出の旅路で詠んだ歌、「磐白(いはしろ)の 浜松が枝を ひき結び まさきくあらば またかへり見む」「家にあれば 笥(け)に盛る飯(いい)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」と、同じく大津皇子「ももづたふ 磐余(いわれ)の池に 泣く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」は、『古典』の授業中はいねむりを決め込んでいた女子高生の心にも、深く刻まれて、以来いく星霜……。

その二上山には標高500mほどの「雄岳」と、やや低い「雌岳」があり、大津皇子のお墓があるのは「雄岳」のほう。一度は出かける計画を立てたのですが、そのときは事情があってやむなく中止に。でも、いずれは訪ねてみたい場所の一つです。

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ライタープロフィール

オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。