歴女の歴史を楽しむ旅
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奈良県/「馬小屋で生まれた」聖なる伝説〜斑鳩の道で〜

2010/05/08

斑鳩の法隆寺から中宮寺、法輪寺、法起寺にいたる静かなこの山里の道を、平城遷都に先だつこと約100年、おそらく聖徳太子も政務や仏教の講義に、あるいは母君の屋敷にと通っていました。馬に乗っていたのでしょうか。そのころも、春や秋には、色とりどりの野の花々が咲き乱れていたのでしょうか。1つ2つ、ぽつんと残された柿の実のオレンジ色だけが目につく、晩秋の景色も絵になります。

父を同じくする異母兄妹が結ばれて、子どもができた。その「異母」同士もまた、姉妹なのです。そんな濃ゆい濃ゆい血縁結婚で生まれた子どもが、日本史上最大のスーパースター、聖徳太子でした。もっとも、当時は、同母兄妹の結婚以外は、どんな血縁結婚でも当たり前のように行われていたようですが。

妻問い婚で、夫は妻たちの家を訪ねる形なので、子どもたちはそれぞれの母親の家で育つ。ゆえに、「鈴木さんちの子」と「田中さんちの子」である異母兄妹の結婚は、当時の倫理感ではOKだし、家の財産を分散させないためにも、そのほうが望ましかったからだろうと推測はできます。だが、しかし、優生学上の問題はありそうです。

ただし、こうした家系からは、ときにはものすごい天才が生まれるかもしれない――と思わせるのが、聖徳太子です。たとえば、「一度に10人の訴えを聞くことができた」とか。だから俗名・厩戸豊聡耳(うまやどのとよとみみ)皇子。これは「10か国語ができた」という意味にもとれます。生まれたのは厩戸=馬小屋の前でした。

イエス・キリストも馬小屋で誕生した――。これはただの偶然なのでしょうか。

子どものころ、私はなんとなく、聖徳太子のほうがキリストより「昔の人」だと思っていました。でも、本当はキリストのほうが600年ばかり先輩です。

西アジア発祥のキリスト教が、シルクロードを通って、中国に達し、景教(ネストリウス教)となり、それが日本の伝わったのでしょうか。ラクダや牛や人の背に乗って、荷車に乗って、手こぎ船に乗って、文字も言葉も違ういくつかの国を経て、600年の長い旅を経て、「昔、昔、あるところに、馬小屋で生まれた、えらい人がおって……」という話が伝わった――? なかなか寝つけない夜、その600年の旅の行程を想像すると、いつのまにか眠りに落ちるという、私の睡眠導入剤のお話です。

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ライタープロフィール

オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。