- 歴女の歴史を楽しむ旅
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奈良県/救世観音の謎の微笑み〜法隆寺・夢殿で〜
2010/05/08
毎秋、正倉院展が奈良国立博物館で開催される、その同じころ、法隆寺西院の、聖徳太子が夢想した部屋を模したとされる夢殿では、本尊の救世観音(ぐぜかんのん)が開帳されます(救世観音の開帳は春と秋の年2回)。正倉院展は、それはもう大変な混雑なので、救世観音もさぞや……と覚悟の上で出向いたのですが、私が訪ねたときは、本当に静かで、「え、これでいいの?」とまわりを見まわしたほど。
法隆寺には数々の謎があります。そもそも、だれが、いつ建立したのか、なぜ焼失(あるいは破壊)されたのか、だれが再建したのか。「聖徳太子が創建した」寺だとされていますが、くわしいことは、よくわかりません。ほかにも、たとえば有名なのは、「中門には、なぜ、人の出入りを閉ざすように、中ほどに柱が建っているのか」とか、「五重塔の上の相輪に、なぜ4本の鎌が刺さっているのか」とか……。
そうした謎を検証するだけの知識も力もない私は、ただ、あーでもない、こーでもないと、想像をたくましくするだけなのですが。
救世観音像。この仏さまも謎に満ちています。聖徳太子の姿を写したとされるこの仏像は、その後1000年あまりもの間、和紙と経典を書いた布で厳重に包まれて、だれの目にふれることもなく、ここに秘匿されていたのです。なぜ? まさか、たたりがあるとでも?
人がふれれば、ただちに天変地異が起きると信じられ、鎌倉時代にはこの像のレプリカを造ろうとした仏師が即死したとか。
熱心に仏法を説いた聖徳太子が、なぜ、たたらなければならないのでしょう。
継嗣・山背大兄王ら、一族すべての者たちが、蘇我氏の手によって滅亡に追いこまれたから? その蘇我氏もまもなく、滅びることになりました。それでもなお、たたりは続いていたのでしょうか。「アルカイックスマイル」といわれる、謎めいた微笑をたたえたそのお顔は、何を語っているのでしょう。
さて、明治17年、初めて封印を解いたアメリカ人のフェノロサと岡倉天心は、即死することなく、20年以上後に亡くなりました。
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オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。