- 歴女の歴史を楽しむ旅
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奈良県/たきぎになりかけた「奈良城」の五重塔〜興福寺で〜
2010/05/07
大阪には大阪城、京都には二条城、名古屋には名古屋城があるけれど、「そういえば、奈良市街にお城のあとはないなぁ」と、調べてみたところ……。私が今、「奈良の街」と思っている、JRと近鉄の奈良駅周辺は、明治維新まで、興福寺や東大寺、春日大社などの領地がはるがに広がっていたようです(春日山の裏手には、「柳生藩」がありましたが)。
とくに興福寺(春日大社の別当寺――神仏習合説に基づいて神社に設けられた神宮寺――だった)は広大で、現在の奈良公園のほとんどと、その周辺までもが境内だったと、ものの本にはありました。江戸時代、興福寺を含む春日大社は大名なみの勢力(石高にして、約2万石)を持っていたとかで、いわばここが「奈良城」のようなもの――といってしまっては、飛躍のしすぎでしょうか。
興福寺が現在のような形になったのは、明治初年の廃仏毀釈。攘夷思想の蒸し返しというか、「仏教はそもそも外国の宗教ではないか」という理由で、寺院や仏教、経典などが排斥され、興福寺もその打撃を受けたのです。僧侶は春日大社の神官にされたそうです。
興福寺の五重塔も、そのとき売りに出されて、その値段が25円って……。たとえば、明治7年のあんぱんの値段が5厘で、今は150円ぐらいでしょうか。すると物価はざっと3万倍。いえ、当時のあんぱんは皇室御用達の高級品なので、物価上昇の目安としては1万倍ぐらいかと、ごくごくアバウトに計算しても、今の値段で25万円から75万円。とにかく、安いということだけはわかります。
「買った!」といった人は、たきぎにしようとしたけれど、壊すのにお金がかかるので、いっそ燃やしてしまって、装飾の金具だけでも拾おうかと思ったら、「火事になるからやめてくれ」との近隣住民から抗議を受けて……。そんなこんなで、あやうく五重塔は難を逃れたという顛末。
天平時代に建立されながら、何度も焼失して、現在の塔は室町時代の再建とのこと。それでも、天平時代からの伝統様式とかで、重々しいつくりです。薬師寺の東西の塔などにくらべると、地味といえば地味だけれど、この、高いけれど、ゆったりしたたたずまいが、いかにも古都らしくて、私の好きな景色です。
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オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。