モンゴルってどんな所?
日本とモンゴルとの関係、モンゴル人の住居、モンゴルの食事、モンゴルの治安などモンゴルに旅をしたことのあるヤンヤンさんが紹介します。

モンゴル国と中国内モンゴルの違い

2014/06/24

モンゴルへ行くと、ロシア人をけっこう見かけました。また、大人はみんな英語がわからず、ロシア語が少しわかるとのこと。ほとんどの国が英語を第二外国語として学んでいるのにどうしてモンゴルでは、英語を学んでいないのか、どうしてロシア語なのか疑問に思いました。

また、日本ではモンゴルというとロシアに接するモンゴルしか思い浮かびませんが、中国へ行くと、モンゴルというと中国領モンゴル自治区のことを指すことが多いのです。モンゴルのことを指すにはわざわざ外モンゴルと言わなければわかりません。

どうして、外モンゴルと内モンゴルとあるのか不思議に思っていました。それらは、歴史に関係していました。

日本で一般にモンゴルと言えば、ロシアと中国に接するモンゴル国のことでしょう。首都はウランバートルですね。現在のモンゴル国は、中国の清の支配下でモンゴル高原の外蒙古と呼ばれたゴビ砂漠以北を指します。そして内陸部を内蒙古と言い、現在中国領となっています。

もともと中国の清の時代まではどちらも中国領域でした。ところが1911年辛亥革命のとき、外蒙古はロシアの援助を受けて独立しました。ところが、内蒙古はロシアが中国との関係を気にして、北部のモンゴルに撤退を要求。外蒙古も南部の内蒙古をあきらめるしかなかったようです。それで1919年に外蒙古は内蒙古から撤退しました。こうして、外蒙古と中国領内蒙古とに分かれたのです。

その後、外蒙古は独立して歩み始めます。1924年にはモンゴル人民共和国として独立します。

1990年モンゴル共和国は、社会主義を完全に放棄し、民主化され1992年モンゴル国となりました。このように、モンゴルとロシアの関係は長いんですね。その影響で、モンゴルはずっと社会主義国でした。今もウランバートルの多くの人が住んでいるアパートはその社会主義時代に建てられたものです。また、最近までロシア語が第二外国語として必修だったこと、そしてモンゴルにロシア人が多くいる理由もこうした歴史による影響でした。

関連記事
ライタープロフィール

ヤンヤンさん/女性/年齢:40代/中国在住/5歳からピアノを習いはじめ、9歳でエレクトーンに変更。学生時代はバレーボール、テニス、バドミントンを経験。卒業後は、塾講師を経て、2006年末から中国で生活。一時期、日本語教師をしていました。現在は、中国語を勉強しています。