私の生きるとは
生きるとは?…生きることについて、みんなの思いを紹介します。

私が考える「生きる」こととは…

2012/10/09

「生きるとは」。
うーん、とっても難しいテーマです。たかが、生まれてから30数年しか経っていない私に、生きることについて深く語れるわけはないと思いつつ、自分なりの考えを書いてみたいと思います。

私は、二度の震災を経験しています。ひとつは阪神大震災。もうひとつは、東日本大震災。どちらも、数千人から数万人の方が亡くなる大惨事でした。思いがけず命を落とした方がたくさんいるのに、私はこうして今、元気に生きていられる…。

東日本大震災で大津波に襲われた陸前高田市、大船渡市、気仙沼市には、私たち家族にとってなじみがある場所でした。私たちは、関西から一時的に岩手県に住んでいたのですが、沿岸部に住んでいる方々の暖かい人柄に触れる機会も多く、大好きな地域でした。なのに、あの2分半ほどの大きな揺れのあとに襲った大津波のせいで、平和な港町は一瞬でぶち壊され、そこに住んでいた方々の命があっという間に失われた。同じ時、私と息子は車の中に避難し、エンジンをかけて暖を取りながら、家の中に駆け込んでは必要なものを車に詰め込み、余震が来ては飛び出す、そんなことを繰り返していました。

きっと、沿岸部の方たちも、あれほどの大津波がくるとは思いもせず、余震におびえながら、大事なものを取りに帰ったりしていたでしょう。私と同じ行動をとった方々が大津波にのまれ、沿岸部から少し離れた地域にいた私は、こうして生き延びている。「運が良かった」といえばその通りなのですが、手放しで喜ぶことなどできません。私たち家族に親切にしてくださった沿岸部の方々。無事だったんだろうか…。

今でも思い出します。大船渡で、カキ汁を大盛りサービスしてくれた、笑顔の素敵なおばちゃん。陸前高田で、おいしいパスタを作ってくれたおじさん。みんな、無事に生きてらっしゃるんだろうか。それとも、命を落とされたのか…。

私たちは、あの日、地震が起こるまで、ふだんどおりの平和な生活を送っていたんです。そして、そのまま無事に1日を終えるはずだったんです。なのに、あの大地震は、一瞬にして尊い無数の命を奪ってしまった。

だから、私は思うんです。「生きる」ということは、すなわち「感謝する」ことなんだって。生きていることは、決して当たり前なんかじゃないんです。幸運の連続なんです。人間、いつ何が起こるかわからない。明日、死んでしまうかもわからない。みんな、そんな可能性を持ちつつ、なんとか1日を追え、また次の日の朝を迎えている。それは、幸運以外のなにものでもないんだと…。

私は、二度の震災で、それを強く実感しました。みんな、それを忘れている。明日が当たり前に来るものだと思っている。でも、本当は違うんです。「今」があること、「未来」がやって来ることに、心から感謝するべきなんです。

ライタープロフィール

オッチマーさん/女性/年齢:30代/兵庫県在住/フリーター、法律事務所職員、幼稚園教諭を経験後、現在は主婦&もうすぐ3歳児のママを頑張り中。楽しいことが大好き、家族でおでかけが大好きです♪