私の生きるとは
生きるとは?…生きることについて、みんなの思いを紹介します。

ざせつも糧になりにけり

2012/02/26

子どもを相手に仕事をしていると、折にふれてその子どもたちが今後どういった人生を送るのだろうと考えることがあります。子どもそれぞれに性格も容姿も環境も、さらに言えば学力的・身体的な能力も違う。きっとそれぞれに自分なりの人生を歩んでいくんでしょうが、ちゃんと自分の足で歩いていけるのかな、なんて心配することもあります。

今に至る自分の話を少し紹介すれば、私はもともと教師になりたかったわけではありません。大学を出て、大学院に進み、修士、博士と進んできました。某アニメのセリフではありませんが、「偉い学者になる」がいつの頃からか夢だったんです。「文系博士は食っていけないよ」と周りから言われていましたが、若さゆえなのか世間知らずゆえなのか、自分にかぎればきっと大丈夫だと信じてやってきました。ただ、30前にして、挫折。学位をとっても、なかなかそれで食べていくのは難しかったわけです。思えば人生で挫折らしい挫折を感じたことがなかったので、やはり生意気な世間知らずだったのでしょう。

それでもとりあえず食べていかないといけませんので、今は教師をやっています。自分の夢のために生きてきた人間が他人の夢の手助けをしようというのも皮肉ですが、子どもの成長する姿を目の当たりにすると、そういった生き方も悪くはないのかなと思えてくるから不思議なものです。

生きることとは、なんてことへの答えをきっと私自身見いだせてはいないんでしょうが、子どもを見ていると彼らの人生の行く先が善きものになるよう望みながら、一方では多少の困難や挫折を味わうことも必要なのではないかと思っています。どうにも自分自身の経てきた経験からしか指導できない未熟者ですので、私が挫折から新しいものの見方や感覚を知ったように、彼らにも様々な困難から自身の生き方を見つけてほしいと思います。

ライタープロフィール

横浜ホームズさん/男性/年齢:30代/横浜在住、福岡から横浜に来てはや10数年。もはや博多っ子と浜っ子の境を見失う30男。美しいものが好き。だけど醜いものはもっと好き。人生、味がある方がいいよね。