私の生きるとは
生きるとは?…生きることについて、みんなの思いを紹介します。

生きていると感じるとき

2011/05/20

三寒四温というとおり、西北の風がひとたび吹くととたんに冷え込みがきつくなります。その様なある日、道端の植え込みでありの群れを見ました。小さい粒粒が動いているなと持ったらありです。中国のありも日本と同じだなと感じながら、しばらく見ていました。

しかし、ありは小さい体でありながら、たいしたものです。もしあれが人間の体ぐらいの大きさで、していることを再現するとなるとビックリするでしょう。動いている距離もすごいですし、動きはきびきびで、何より持ち上げている物の大きさもすごいです。自分の体ぐらいもある物をくわえて運んでいる場合もあるほどです。生きているイコール働いているだと思います。ありの動きを見ていると、いつもそう感じます。一つ一つの粒粒がピコピコピコピコ動き回り、しかも全体が統制されていて、無駄な動きがないのです。

中国に来て中国の農民工たちを見ていると、「もし人間がありのように動いていたら」というそれを見ることができます。彼らの姿からは、アリさんが自分の体ほどもある物を運ぶさまを思い出されます。農民工は会社の移動等や引越しなどの荷物の移動も、担当することが多いのですが、大きなたんす、棚、冷蔵庫も一人で背中に担いでいきます。まさに自分の体ほどもある荷物を運んでいるのです。しかも、その状態で狭いマンションの階段を上り下りしていきます。何も言葉を発さずに、無言で黙々と働くさまは、働き人そのものです。

彼らの労働力はたいしたものです。彼らは、工事現場の傍らに仮設テントを建て、そこに寝泊りします。道路を歩いていると、布団に包まって寝る、彼らの頭だけが見えます。農民工が工事現場で大勢働いているさまは、勤勉なアリさんとよく似ています。彼らの顔のしわ、ごわごわの髪、砂埃をかぶった服、日に焼けた顔を見ていると、働いているというイメージが伝わってきます。そしてそんな時、生きている、と感じます。それで、日常生活のひとこまから、生きることを考えさせられます。

ライタープロフィール

チャウチャウさん/男性/年齢:30代/中国 黄土高原在住/最初、中国の犬たちにはまりましたが、最近、中国の大木に、は まってきています。