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- 生きるとは?…生きることについて、みんなの思いを紹介します。
人生は死ぬまでの暇つぶし
2011/07/10
友人と「生きるとは何か?人生とは何か?」と言う話になった。
私はこう答えた「人生は死ぬまでの暇つぶしだ」と。
人間は誰でも必ず死ぬ。それが最後なのかはたまた何かの始まりなのかは考え方によって異なるかもしれないが、死は誰もが逃れなれない事実である。今日生まれた赤ん坊も、人生の大先輩にも必ずいつか死は訪れる。単に遅いか早いかの違いである。
「暇つぶし」と言ってしまうと、刹那的に生きることを好しとするとか、適当に遊んで暮らせばよいと思われてしまうかもしれない。もちろんそういう考えを全て否定しようとは思わない。自分の人生なのだから、自分で選んで生きればよいだけなのだ。人間誰でもいつかは死ぬ。それまでの時間をどう生きるか?そんなことはその人の勝手だ。どこそこのお偉い先生がこう言っていたとか、みんなはこうしているからとか、そういう意見や大勢に従いたい人はそうすればいい。その考えを否定するつもりも毛頭ない。
「暇つぶし」だと思えば、色々試してみようと言う気も起ころう。暇つぶしだからまぁやってみるかと、試して見ることもできるのだ。気が済むまで試せばいい、時間に制限はない。いや、厳密には時間には制限がある。しかしそのリミットを確実に知る術はない。そのリミットは明日かもしれないし、50年後かもしれない。もしかしたら数秒後かもしれない。
「虎は死して皮を留め人は死して名を残す」と言う言葉がある。名を残したいと思ったのなら、どうせ暇つぶしだ、名を残すようなことをやってみればいい。残された家族の為、いやむしろ自分の暇つぶしをもっと豪華にする為に財を成したい思ったならそれをやってみればいいし、人々の記憶に残りたいと思うならそうしてみればいい。所詮暇つぶしだと思えば、どんなことも失敗ではない。「暇をつぶす」と言う当初の目標は達成されているのだ。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」と思えば変な気負いも無く、楽になることもあろう。所詮暇つぶしだ、悩んでいるのがもったいない。
もちろん悩むその時間も暇つぶしにはなるのだが。
ツカサさん/女性/年齢:30代/東京都在住、読書、ゲーム、音楽鑑賞、パソコンいじりが好きで、行列と人ごみが苦手なインドア派です。ひとまずなんでも疑ってみる性格で、理屈っぽいと良く言われます。