私の生きるとは
生きるとは?…生きることについて、みんなの思いを紹介します。

「生きる」という蜘蛛の巣アソート

2010/04/17

「生きている」現在進行形。うん、私たちは生きている。「生きる」とは、つまり今がちゃんとあること。過去でも、未来でもなく、今が用意されていること。とっても贅沢なことだ。それが「生きている」という時間軸であるとしたら、それに蜘蛛の巣のようにグルグルと円を描いているもの。

これが「繋がり」。私はここに、「生きる」という面影があるような気がする。

私は結構強がりな女の子を送ってきた。1人でいいんじゃない?そんな事を思って、ある日その糸を思いっきり切ったことがある。でもね、私は幸せだった。

「逢うべき糸に出会えることを 人は仕合わせと呼びます」こんな歌詞もあるけれど、私の切った糸は、どこかで誰かの糸でもあった。「どこにいるの?何しているの?」「今から行くよ」もの凄い感度で、そのメールは運ばれてくる。そして、たいがい何も言わずに私の全てを受け入れてくれて、そっと私は定位置に戻される。その定位置がちゃんと、あること。誰にとっても「生きている」勲章みたいなものだって思う。あるいは、積み重ねる挨拶の数。何があっても、どんなにいやな事があっても「いってきます」「ただいま」と言えること。戻れる場所があると言うこと。繋がることを拒まないという、1番素直な意思表示。これが、とても愛おしく思えたりする。「服だって誰かが作ってくれて、この野菜だって誰かが育ててくれて。だから人は1人では生きられないんだよ」

ある日そんな事を聞いたことを思い出した。どんなに小さな世界を見渡しても、グルグルグル。無数の「繋がり」が糸を紡いで、紡いで。

つまり「生きる」ということは「誰かに生かされている」ということ。ちゃんと、私の定位置があるということ。それが、今、ここにあるということ。「生きている」そういう事実だけで、私はもう充分なのだ。

ライタープロフィール

そらい なおみさん/女性/年齢:20代/岐阜県在住、言葉の山に埋もれたい。幸せに取っ手をつけて、持ち歩きたい。と想いつつ、誰もが驚くポジティブさを隠し持った女の子。カフェ、おしゃれ、読書、映画、音楽が5種の神器。ハンドメイドブランド「PEMMY」女子カメラ部「CARACOL」なんかを主催し時々詩や物書きをしながら、女の子らしく自由気ままに生きています。/ブログtwitter