私の生きるとは
生きるとは?…生きることについて、みんなの思いを紹介します。

長く生きられるかどうかではなく、どう生きていくか

2010/04/17

みなさんにとって「生きる」とは一体どんなことでしょうか。ただ単に「生きる」という単語自体は、「人や動物が、生命を保ち活動できる状態にあること」を指していますが、その確たる答えは母親に聞いても先生に聞いても、おそらく分からないでしょう。「生きる」ことは私たち人間にとって永遠のテーマなのではないかと思います。

友人が亡くなったとき、「生きる」とは何かを考えたことがありました。生まれたときはみんな平等に持っていた命なのに、どうしてこんなにも長さが違うのか。私の中の彼は永遠に22歳のままで、そこから成長することはもう二度とありません。しかし皮肉なことに、彼の死によって気づかされたこともあり、長く生きられるかどうかではなく、どう生きていくかを考えるべきだと思うようになりました。彼の告別式に、彼が生きてきた22年間の中で出会い、互いに影響し合った多くの人が訪れたことで、まるでそれを鏡のように感じました。彼の死を悲しむ人たちが多ければ多いほど、彼が周りの人にどう接し、どれだけの影響を与えてきたかが分かってしまったからです。

自分がどう生きていたいか、誰にだってその理想はあると思います。私は自分の人生の終わりに後悔することだけはないように生きていこうと思っています。後味が悪いのはあまり良い気がしませんから。最期の瞬間に「ああ、私の人生最高に楽しかった」なんて思えて旅立てたとすれば万々歳です。 戦いに怯えながら誰かが眠りに着こうとしている頃、あたたかいベッドの中で幸せに包まれながら朝を迎える誰かもいるのです。どんな状況にいても笑顔を絶やさない人もいます。自分が大きな幸福の中にいるということに気付けないまま、下を向いている人もいます。

どう生きていくか。私もまだ最期の瞬間を迎えたわけじゃないので分かりませんが、自分のテーマを掲げることを忘れなければ、ハッピーな人生を過ごせるような気がします。その答え合わせを楽しみにしながら日々を過ごしたいなあと思っています。

ライタープロフィール

さかさん/女性/年齢:20代/宮城県在住/修行中の新人コピーライター。写真と旅とおしゃれが大好き!愛機はキヤノンの30D。最近は肩こりがカメラの重みに耐え切れず接骨院通いの毎日です。おいしいものを食べてるときと布団でごろごろしているときが至福のとき。ビールと軟骨の唐揚げ、塩ラーメンには目がありません。素敵なカフェも開拓中☆