感動した話
思い出すとジーンとくる…感動した話を紹介します。

方向音痴だからこそ出会えるものがある

2019/08/20

私は生まれてから、愛知県・青森県・岐阜県などさまざまな土地に暮らしてきましたが、高校時代は青森県に住んでいたので、大学進学にあたり上京する必要がありました。引っ越しは何度か経験しましたが、青森県から東京に引越すというのはある程度の勇気が必要なことです。年齢はたったの18歳。地方から上京した経験のある方ならわかってもらえると思うのですが、18歳がいきなり東京で暮らすというのはただ言葉で言う以上に大変なこと。そういう漠然とした不安を抱えながら18歳の私は単身上京したのです。

引っ越してすぐにやったのが、自転車を買いに行くこと。一駅向こうのショッピングモールへ電車で買いに行き、帰りは購入したての自転車で帰って来る算段です。無事に自転車を手に入れ、いざ帰宅。しかし一駅とはいえ、まったく土地勘のない道を自転車で帰るのは無謀だったことにしばらく走って気付きます。当時はまだ携帯にナビしてもらうという便利な時代ではなかったので、元来方向音痴の私は瞬く間に道に迷い始めました。

同じところをぐるぐる、ショッピングモールがある駅に戻ってやり直したり、線路づたいを走っては行き止まりになったり…。なかなか見覚えのある場所にたどり着けません。闇雲に走って(実は少し泣いていました)、やや大きめの道へ出た時ようやく、勇気を出して人に聞くことにしました。スナックの開店準備をしていた1人の女性に声をかけ、私が住んでいる◯◯駅はどっちに行けばいいですかと尋ねました。その方は丁寧に教えてくれ、「引っ越してきたばっかりなの?」と話しかけてきました。4月だったのでそう思ったのでしょう。「青森から出てきたばかりなんです」と答えます。そしたらご婦人は、「あら!私も青森なのよ!ほら、お店の名前!」と頭上のお店の看板をゆび指しました。そこには『津軽』という文字。私は思わず泣きそうになりながら、「多分、道がわからないので多分だけど、近所なのでよろしくお願いします!」と叫んだのでした。

地方に住んでいる人にとっての東京は「冷たい街」。私も少なからずそう思っている1人でした。誰も助けてくれない、1人で生きていくしかない街。今思えばそんな風に考えていた自分を笑ってしまいますが、18歳の私は本気でそう思っていました。そんな時に現れた『津軽』の看板。そしてそこの主人である優しい女性。それ以来会うことはありませんでしたが、この人に出会えたことで私は「もしかしたら私も東京でやっていけるかもしれない」と思うことができ、以来現在まで東京での暮らしが続いています。

ライタープロフィール

李内(りうち)さん/女性/年齢:30代/町田市在住/愛知県生まれ。夫と愛犬の3人暮らしのごくごく普通の主婦。仕事はサービス業。趣味は読書、料理、仕事。犬が大好きで愛犬と過ごす時間が何よりの幸せです。