心に残る一冊
お気に入りの世界観、人生を変えた一冊、何度も読み返してしまう本を紹介します。

貴志祐介著・天使の囀り

2021/01/12

皆さんはタナトフォビアという言葉を知っていますか?これはいわゆる「死恐怖症」。貴志祐介さんの「天使の囀り」という作品は、全体を通してタナトフォビアが大きなテーマになっています。死に対する恐怖は、生きている人間ならば誰しも一度は感じるもの。それをどう克服して、気持ちの上での安らかな死へ向かっていくのか、考えさせられる作品でもあります。

とは言えこの作品は、「寄生虫」というものの存在がキーワードになっています。一見死に対する恐怖の感情とは直接関わりがないように感じられるこの寄生虫が、人間にどういう影響を及ぼしてくるのか。

物語は終末期医療専門の精神科医北島早苗と、その恋人である作家高梨とのメールのやりとりから始まります。アマゾンの奥地への調査隊の一員となった高梨は、病的なタナトフォビアの患者。その高梨がアマゾンへ行ってからというもの、別人と思えるほどに人格が変わります。死への恐怖が拭えなかった高梨が、正反対に死ぬことに魅力を感じているような言動が増えていくのです。そのことに疑問を持った早苗は、同じアマゾン調査隊の一員だった大学教授の紹介を受け、線虫の専門家依田と出会い、高梨の人格変容の原因を探っていきます。そして死の魅力に取り憑かれてしまった高梨も自殺。すると早苗は、ある恐怖症に悩んでいた青年がその真っ只中とも言える状況で自殺していたりといった、恐怖症を克服しさらに恐怖の対象だったものの愛好家にさえなってしまったかのような死に様の数々を目の当たりにします。高梨が死ぬ間際に聞こえたという「天使の囀り」とは一体何なのか、それを早苗は依田と共に探っていきます。

早苗の職場である終末期医療を行うホスピスは、患者の年齢問わず常に死が身近にある場所。そんな中で死に向かって生きるという、矛盾のような現実と向き合う早苗が最後に下した決断はどんなものなのか。500ページ以上という長編小説ながら私は夢中になって一気に読みました。初めて読んで以降も折に触れて何度か読み返していますが、読む年代で感じ方がまったく違い、死に対する想いも変わります。読み手のバックグラウンドによって、こんなにも感情が変化する作品はそう多くありません。身近だけれど遠い、遠いけれど気づけばそこにある「死」というものを深く考えさせられる作品です。

天使の囀り (角川ホラー文庫)

ライタープロフィール

李内(りうち)さん/女性/年齢:30代/町田市在住/愛知県生まれ。夫と愛犬の3人暮らしのごくごく普通の主婦。仕事はサービス業。趣味は読書、料理、仕事。犬が大好きで愛犬と過ごす時間が何よりの幸せです。