- 心に残る一冊
- お気に入りの世界観、人生を変えた一冊、何度も読み返してしまう本を紹介します。
奥田英朗著・空中ブランコ
2021/01/06
第131回直木賞受賞、さらにこの作品はドラマ化やアニメ化もされたのでご存知の方も多いかもしれません。小難しい話は一切なく、面白おかしい(捉えようによってはバカバカしい)話ばかりの短編集です。気楽な時間を過ごしたい時にはピッタリの一冊。殺伐とした世の中に生きる私たちには、一服の清涼剤になる作品です。
どのお話の主人公も、心に闇を抱えながらも懸命に生きようとする普通(?)の人。その心の闇を何とかしようと、とある総合病院の中の神経科を訪れるところから話は始まります。その神経科は病院の地下にあり、何とも怪しい雰囲気。そこにいる精神科医というのが伊良部という太った医師で、患者である主人公たちは伊良部の雰囲気と言動を訝しみながらもその魅力にハマっていきます。そして伊良部の暴挙に驚かされながら、気づいた時には心の闇はすっかり晴れている、というまるでおとぎ話のような話の展開です。
この作品で伊良部は、表題作になっている空中ブランコができなくなってしまったサーカス団員を突飛な方法で治してみせたり、先端恐怖症でナイフが握れなくなってしまったヤクザといった一風変わった病を持つ主人公たちを奇想天外に治療していきます。しかしこの伊良部医師がまた不思議な雰囲気で、「治してあげたい」とか「何とかしてあげたい」と伊良部が思っているとは読者には(主人公も)とうてい思えません。現に主人公の職業が空中ブランコ乗りだと知った伊良部は、もう頭の中はサーカスを観覧することでいっぱい。そして自分も空中ブランコに挑戦したいと言い出す始末。治療をする気配なんて1ミリも感じられません。
それでも最終的に主人公たちは自分の闇を克服していきます。伊良部の行動に辟易して自分の病など忘れてしまったり、伊良部の勢いに巻き込まれていくうちにどうでも良くなってしまったり。専門家である精神科医の伊良部自身がどうでもいいと思えば、実際に自分の闇なんてどうでもいいことなのかもしれない、ついそう思ってしまう作品です。
この伊良部医師、意識してあえてそうしていたとしたらもはや天才。でも読者にもまったくそんな風に感じさせないのが伊良部の魅力です。その他にも無駄にセクシーでビタミン注射専門の看護師マユミが登場したり、この本の中は個性的なキャラクターでいっぱい。主人公たち、その周りの人、伊良部総合病院の関係者と、登場人物すべてにおいて悪人はゼロ。人間みんな根っこはいい人なんだと思い出させてくれる一冊です。
空中ブランコ ドクター伊良部
李内(りうち)さん/女性/年齢:30代/町田市在住/愛知県生まれ。夫と愛犬の3人暮らしのごくごく普通の主婦。仕事はサービス業。趣味は読書、料理、仕事。犬が大好きで愛犬と過ごす時間が何よりの幸せです。