私の生きるとは
生きるとは?…生きることについて、みんなの思いを紹介します。

生きる事についての私の考え

2017/08/23

ある程度大人で、社会の荒波を経験してきた人であれば、きっと一度くらいは「生きる意味」について考えた事があるのでは?そもそも人間は本能的に生命維持しようとする生き物なので、生きる意味をわざわざ明確にしなくても、自然と生きようとします。しかしこのような本能的な生命維持活動は別として、あなた個人が思い描く「生きている意味」って何ですか?つらい事ばかり続いていると、自分は何のために生きているんだろう?、生きていても意味がないのでは…と、マイナスな事ばかり考えてしまいますよね。嫌なことが続くと生きる意味を疑いたくなってしまうでしょう。そこで今日は、自分が哲学者になったつもりで、私なりの「生きる意味」について語っていきます。

○私なりの「生きる」という解釈
私が思い描く「生きる意味」は、大きく分けて3つあります。

1.守りたいものがあるから生きている
2.誰かに愛されるために生きている
3.夢を追い、実現するために生きている

○守りたいものがあると自然と生きるエネルギーになる
生きる意味を見失っている人は、自分に「守りたいもの」がまだ見つかっていないのかもしれません。例えばあなたに子供がいたら、子供を守るためにも必死で働いて生きていかなきゃって思いますよね。というか、わざわざ「生きる意味は子供のため」と意識しなくても、自然とそのように行動してしまうでしょう。小さな子供を抱えているのに、「私の生きる意味って何だろう?」なんて、普通はあまり考えませんよね。というか、思う暇もなく子供の世話をしなければいけないでしょうし。ここでは子供を例にとってしまいましたが、子供に限らず何でもいいんです。自分以外に守りたいものがある人・ものがある人は強いです。その守りたいものを守るのが自分の使命、要するに「生きる意味」だと明確になっているのでからです。大事な人を守るために必死に生きるというと、少し大袈裟に聞こえてしまいますが、案外楽しくて時間も忘れてしまうくらい夢中になってしまうものです。少なくとも私の場合はそうです。私にも今、自分以外に守りたいものがあります。それがあるだけで、「生きなきゃ!」「働かなきゃ!」と奮い立たされるので、生きる意味を考えるまでもありません。

○愛されて生きる意味を実感
自分が誰かに愛を与えるのも大切ですが、人間は誰かしらに愛されるべきものだと思います。生まれてから死ぬまでの間、人から愛される事を知らずに一生を終えてしまうのは、とても悲しいことです。もしも私がこれまでに一度も愛された事がなかったら、確かに生きている意味がないのでは?と感じてしまうかもしれません。愛されているって、とても気持ち良いものです。人は愛される事で、生きている意味を実感するものでもあると思います。究極を言ってしまえば、私は「愛さえあれば生きていける」と思います。それだけ愛は生きる原動力となります。ちゃんと愛情を受け取っている時は、生きている意味を見失わずに済むのです。

○やりたい事をやる、夢を叶えるために生きている
子供にも大人にも、何かしら夢や目標が芽生えるものです。その夢を目指していく事が、生きている意味だとも言えます。もしもあなたが歌手になりたければ、歌手目指して頑張るために、あなたの人生があるのでしょう。私にも今、やりたい事や目標があります。それを達成しようと努力する事が、私にとっての「生きる意味」なのだと解釈しています。たとえ生きている間にその夢が達成できなかったとしても、あとで振り返った時、その夢に向かって必死で努力していた期間は、とても幸せな時間だったと感じると思います。

○希望があるから生きられる
自分の思い通りに進まず、苦しい事ばかり重なると、だんだんしんどくなって「生きる意味」が分からなくなってしまうでしょう。でも考えてみてください。人生って何が起こるか分からない未知のものです。あなたがいくら生きる意味を考えていたって、次に何が起こるかうまく予想する事は不可能なのです。そんなスリル満点の人生を、逆に楽しんでやろう!くらいのスタンスでいるのもステキだと思います。たとえ今日雨が降っていても、この先もずっと雨が続く事はありませんよね。人生は無常だと言われているように、同じ状態はずっと続きません。だから「明日こそ晴れる」という希望があります。人生も天気と同じようなもので、絶望の中にも希望があるからこそ、私たちは生きていけるのでしょう。

ライタープロフィール

レイさん/女性/年齢:30代/東京都在住/3度の飯よりコーヒーが好き。