感動した話
思い出すとジーンとくる…感動した話を紹介します。

自分を受け入れてくれた「アメリカ」

2018/05/16

若い頃、アメリカの学校に通っていました。夏休みの間、日本に帰国していたのですが、その時バイクで単独事故を起こし顔面骨折をしました。顔の右上部分の骨は砕け顔も数十針縫い、とても大きな傷が残ってしまいました。

幸い脳や眼球含め、顔以外には異常が見られず、顔の外科的処置のみで済みましたが、その傷は自分の心に大きな衝撃を与え、今後普通の社会生活は出来ないだろうと思っていました。

丁度その夏は、アメリカ国内で別の学校に転校する予定だったのですが、住む場所はまだ未定でした。予想外の事故で正直アメリカに戻るかどうか悩みましたが、このまま日本にいても傷ばかり気にして普通の生活もできないと思い、住む場所も決まっていないアメリカへ単独渡りました。

現地の空港へ着いて、まずは空港近くのホテルに向かいました。すぐに部屋は取れたので、部屋に荷物を置きすぐにフロントへ。ホテル内に別の日本人がいないか尋ねると、ラッキーなことに丁度日本人が1人泊まっているとのこと。今の時代、こんな情報教えてもらえませんよね。コンプライアンスが・・とか(^^;)。昔の話なので笑って読み飛ばしてください。

すぐさま教えてもらった部屋に行き扉をノック。すると部屋の中から返事があったので、行く学校は決まっているのだけれど住む所が決まっていなくて困っていることを、日本語で伝えました。相手の人はとても親切な方で、私を部屋に入れてくれた後、親身になって相談に乗ってくれました。これも今だったら考えられませんね・・。今思えば、お互い超危険だったかもしれませんし。本当に無謀でした。

その人のおかげで、学校近くに住んでいるその人の知り合いの家にホームステイすることが出来ました。その後、別の住まいも見つけ、その他各種手続きも無事に終わりやっとひと段落。

アメリカに着いてからは、出会った人達始め学校で知り合った先生や数多くの友人達は、常に私に対して偏見無く平等に接してくれました。現地に着いてから、あわただしい日々だったおかげもあり、すっかり自分の傷が周りにどう見えているのかなんて忘れていました。その後は、無事に学校も卒業して胸を張って日本に帰国しました。

もしあの事故の後、日本でずっと生活していたら、いまだに自分に自信を持てずに人の後ろに隠れている自分だったかもしれません。あの時アメリカで出会ったみんなに、心から感謝です。因みに医学の進歩は凄いもので、今では傷も目立たなくなっていますよ!

ライタープロフィール

ぷれちゃん/男性/年齢:40代/千葉県在住/アメリカの学校を卒業後、日本に帰国し営業職を経てIT業界に転職。システム開発やWeb開発を経験して、現在は熱血システム講師をしています。とにかく好奇心旺盛で、大好きな車に乗りながら、日本各地に温泉グルメドライブしています。