私の生きるとは
生きるとは?…生きることについて、みんなの思いを紹介します。

「下があるから生きられる」の危険なワナ

2010/04/03

ようやくものごころのついた4つか5つのころから、なぜか「死」というものに興味があって(親戚で葬式が続いたせいかもしれません)、眠りにつく前に「死ぬってどういうことだろう。怖いのかな」と見つめていた、両親と川の字にふとんをならべていた和室に吊り下がる電気のかさの画が、今でも目に浮かぶのです。

「私が大きくなるころ、人は死ななくなるよね」と小声で父にたずねると、「そんなことない」ときっぱり否定され、おさない私はかなりショックを受けました。

もう少し大きくなると、「人生が1回しかない」ことに、何やら怒りをおぼえたり(「生まれ変わり」や「前世」は信じていないので)。「お金持ちの家に生まれた子とか、頭のいい子とか、顔やスタイルのいい子とか」との、おそらくは今後の人生を左右するであろう「格差」を実感したからです。

またもう少し成長し、いくらか本なども読むようになると、「とりあえず、この時代の、この国に生まれてラッキーだった」と思うようになりました。何しろ1回しかない人生です。もっと貧しい時代の貧しい国に生まれていたら、子どものころに売り飛ばされて、ろくな食事にもありつけず、過酷な労働に追いやられ……。

結局、私みたいな人間は、「自分はまだマシだった」と思うことで、生きられるんじゃないか。上を見ればキリがないけど、「下がある」から生きられる。

これが結論――では、本当はいけないのです。なぜって、「いじめ」(子どもに限らず、パワハラもセクハラも、嫁いびりも、ブログの炎上も、あらゆる差別も)の根っこも、きっとここにあるのでしょう。だれかを「下」にしておけば、自分はそれだけ「上」になる。「上」になることで、少しは自分の不平・不満も解消する。

では、国民全体に不平・不満が蔓延したら、国家をあげて別の国、別の民族を「下」にしてしまえば……を実行しやがったのがナチスだった(規模の大小はあっても、日本も含めて、さまざまな国で同じようなことはやっていますが)。  で、やっぱり「人生は1度きり」っていうのは、なんか、納得できないなぁ。

ライタープロフィール

オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。