私の生きるとは
生きるとは?…生きることについて、みんなの思いを紹介します。

笑いましょう!感情を自由に現してみましょう!

2012/03/07

喜怒哀楽は、ひとに与えられた感情を表す言葉です。

わたくしはいま人生の転機に遭遇しています。なぜそう断言できるのかと申しますと、いま人生のどん底にさらに穴を掘っている最中だからです。不思議なもので、人は死を意識したときにしか『生きる』を知ることができません。恐らく遺伝子の中にそういう仕組みが組み込まれているのでしょうね。

わたくしはこれまで自分の感情や本音を出せないことでたくさんの後悔を経験してきました。年齢的には若いため、若造がなにを語るのかとご年配の方は鼻で笑われることでしょう。ですが、客観的に自分を省みることができるのは事実なのです。

ただ最初にお断りしておきますが、答えはひとつではありません。某名探偵は真実は一つだと断言しています。それは確かにそうだと思います。しかし答えは一つとは限りません。人の数だけ答えはあると某CMでも言っている通り、わたくしはそう思っています。

思考をし二足で歩く人間の知能は他の動物にはないといわれます。考えることができるから喜びを感じられますし、考えることができるせいで悲しみや苦しみを味わうのですね。そしてその感情は、多くの人は表情や言葉で表してくれます。しかしなかには、感情を上手に表せわせられない方もいます。わたくしはお恥ずかしいことですが、後者でした。ただしそれは『感情を表せる時でもあえて隠していた』に過ぎません。本音を隠しポーカーフェイスを気取り何度も損をしてきました。表情の変わらない人間は他者から見たらただの人形に見えることでしょうね。人間と人形の違いはそこにあるのだとわたくしは思います。

いま、『生きる』を探している方に厚かましくもわたくしからアドバイスをさせていただきたいと思います。思春期の学生さんや几帳面だったり神経質で真面目な方はきっといま『生きる』が知りたいと思っていることでしょう。

わたくしは思うのですが、焦る必要はないのではないでしょうか。まだ十代の方で不登校や自室に引きこもりをされている方、焦る必要はありませんよ。人は思考し働くものです。働いた経験のない学生さんが『生きる』を知るのはあまりに難しいことだと思います。まずは、自分の内心や本音を思いきって誰かに打ち明ける勇気を持ってみてください。ただし、内心を暴露したところで、話した相手からそれを解決できる確定的な答えを求めたり期待をしてはいけません。ですが、話しをすることで、自分で自分の耳に自分自身の本音の言葉を聞くことでなんとなくの答えが見えてきます。たくさん泣いてください。たくさん悩んでください。その分たくさん笑えばおあいこなのです。感情を表情にして心を言葉にしてみてください。わたくしはそうして少しずつ人生のどん底のさらに奥の穴から少しずつ少しずつ這い出ていることを自覚しています。

悩みがあり泣いたり苦しい思いをして落ち込んだりすることは『生きる』の一環です。反対に笑ったり喜びを噛み締めることも『生きる』の一環です。その苦しみも喜びも存分に味わうのもまた『生きる』だと思います。壁にぶち当たったときは、どうにかそれを存分に味わう覚悟をしましょう。悩みも喜びもない人生なんてつまらないですからね。人生、存分に楽しみましょうね。

ライタープロフィール

南形えるさん/女性/年齢:20代/愛知県在住/文章執筆歴8年目突破。人に読んでいただくこと前提の『作品』の書き方を日々特訓&勉強中。新年早々本業を捜索中なう。