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家族と共に生きる楽しい人生
2011/09/02
私の周囲には、常に家族がいました。良いときも悪いときも、笑いあって、喧嘩しあって、家族がいました。私が子どもだったころ、父はお酒に溺れていました。一日中、お酒を飲んで、畳の上に大の字に寝転んでいました。
母は家計のやりくりに大変そうでした。毎月、祖母の家へ行ってお金を借りていました。2人の姉と兄は、中学生のころからバイトをして、それでも皆高校を卒業して就職しました。
大酒飲みの父は肝臓を病み、入退院のくり返しでした。そんな状態の中で母は、どうやって4人の子どもを育てたのだろうかと、いま考えると不思議で仕方がありません。
火の車の家計の中で、病院代、学費、食費などなど、どう考えてみても、やっていける筈がなかったのです。でも母は実際にそれをやり、私たち子ども4人は高校を卒業して就職しました。
結婚をして子どもが生まれ、私は新しい家族を作りました。新しい私の家族は、初め夫婦2人だけでした。それがいつの間にか子どもが生まれ、今は5人の家族になっています。
子ども達は皆、成人して就職しています。私の家族はそれほど貧しくはなく、中流家庭という感じでした。勿論、妻とも子ども達とも、言い争いや喧嘩をしたことはあります。しかし今ふり返って見ると、とても楽しかったのです。それらの日々は、楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。それ以外のことは、何度思い出そうとしても思いだせません。
もしも私が大金持で、何不自由のない子ども時代を送っていたとしたら…。そう考えてみると、私の記憶から生気がなくなってしまいます。一生懸命に母の手伝いをしたり、頑張って長距離を走りきったり、100点を取ろうと徹夜で勉強をしたりしなかったような気がします。
妻や子ども達と新しい家族を作ったときにも、もしも大金持ちだったりしたら、頑張って仕事をしなかったでしょう。何をしないでもお金はあるので、何をする気のもならなかったでしょう。かといってそのお金で世界旅行をしたりしても、楽しくなかった気がします。
人生は、何処かへ行こうと思って頑張ってお金を溜めるからこそ、全てが楽しくなるのだと思います。そしてその過程が、生きる、ということなのだろうと私は思います。
キイチロウ/男性/50代/福井県在住/ごく普通の仕事をしていて、ごく普通の考え方をする、ごく普通の趣味を持った、ごく普通の外見の人間です。ただ他の人よりも少しだけ、人間ウォッチングに優れていると自分では思っています。