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フィリピーナを愛した失敗談
2012/04/22
人間は生きてきた分だけ誰にでも失敗はあると思います。私の人生経験で最悪の失敗体験をお話しましょう。
16才より横須賀の米軍基地にある将校クラブでドラムを叩いていました。その後、ドラマーからハモンドオルガン奏者、そしてピアニストへと転職し、30代になって作詞家・作曲家になりました。
仕事にあぶれた時の怖さから何件も掛け持ちし、寝る暇もないほどのスケジュールでした。当然、女性との付き合いも有りませんでしたが、仕事の満足感の方が大きく気にする事もなかったのです。
そんなある日、仕事の打ち上げでフィリピンパブへ連れて行かれました。店内には18歳から22歳くらいのスレンダーなダンサーが20名以上在籍し、天真爛漫な笑顔に心が休まりました。
私の隣に座ったフィリピーナは18歳のマリアという娘で、ローマ字の日本語を読みながら話していました。30過ぎまで独身と言う女性に免疫のない私にとって、新鮮な出会いだったのかもしれません。
その後、何十回と通うようになり、次第に距離が近くなって、お互いが意識し合うようになりました。日本にはフィリピンとの国際結婚をした人が約2万組いるそうですが、私も同じ仲間になっていったのです。
当時は、在フィリピン領事館の前に、国際結婚専門の業者がおり簡単な手続きで終了。1ヵ月後には、新しいパスポートとVISAを取得して私の元にきました。
一緒に暮らし初めて数ヵ月後、「お母さんが病気で手術代がいります」「弟の学費が払えなくて退学になってしまいます」等など次から次にお金を要求してきたのです。
最終的に離婚するまでの5年間で、乗り合いバス、一軒家、電化製品、バイク、家族8人の生活費など数千万円になりました。同じような体験を持つ人も多いと思いますが、幸せだった時の感謝と国際結婚の授業料と思ってキッパリ諦めました。
しかし 懲りずに今もフィリピンに在住しています。一般的に「フィリピン病」と言うそうです。
Jack天野/男性/年齢:50代/セブ島在住/13歳より横須賀の将校クラブでドラマーデビュー、20歳でハモンドオルガン奏者、その後ピアノの弾き語りとしてファイアットリージェンシーと契約し東南アジア各国のホテルロービーピアニストを務めました。ちょっとマイナーな部分も含めて、楽しい記事を書きたいと思います。宜しくお願いします。