私の生きるとは
生きるとは?…生きることについて、みんなの思いを紹介します。

今を社会を生きるとは一体なんだ。

2010/06/17

人が生きていくためには、物を食べて飲んで睡眠をとれば生きていくことは可能だけれど、人は考える馬鹿だからそれだけじゃ物足りないんじゃないかと思います。

何もせずとも生きていると自分の周りには、家族がいて、友達がいて、周りの人たちと関係をもち、笑ったり怒ったりしながら社会に生きて、生かされています。そのことがいい時もありますが、どうしようもなく嫌になるときもあります。

自由が利かなくて周りがめんどくさくなる事も、何でこんなに社会と繋がっていないといけないのかと迷うときもあります。一度迷いだすと、出口がなかなか見つからなくて生きていることに疲れることもあります。でも、そんな時は必ず、いつだって自分を心配してくれる家族も友も周りの人だっているからまた、生きたいと感じられるんじゃないかと思います。

周りと社会と繋がっていると、どうしても、どうやっても本当は一人になることは出来ないし、一人で生きることもできないし、社会に生かされ、生きていると、どしても明日がやってきます。

たとえ意識していなくとも、明日がやってくると思うと、どんなに今日がどんなに辛くとも、明日はきっと何かが変わると願い、希望を見てしまうから、今日を一歩ずつ進んで行けるんじゃないでしょうか。

迷ったり、間違ったり、駈けずり回りながら理想どおりに上手に生きれなくとも、支え支えられていくうちに、どうせ生きるならただ生きるだけではなく、誰かを守ったり、自分の道を進んでいきたくなって、それが生きていく意味に変わっていくのではないかと思います。

ただ、食べて飲んで寝て生きていくよりも、生きていく意味を貫くために辛い道を歩むことを決めるのは、辛い選択で傷ついて途方に暮れるかもしれないけれど、その時はまた、家族や友や周りの人に助けられ生かされていくんじゃないかと思います。そして、そのうち立場が変わっていったとき今度は誰かを生かすんじゃないのでしょうか。

ライタープロフィール

ヒットさん/女性/年齢:20代/東京都在住、ウインタースポーツ・モータースポーツが好きな20代女子です。粉物の食べ物や、スイーツが好きで良く食べに行きます。お酒にも目がないのでいろんな銘柄・種類に挑戦中です。