私の生きるとは
生きるとは?…生きることについて、みんなの思いを紹介します。

ともかく前へと進むこと、それが生きるということ

2012/01/18

人が生きるとは、どういうことを指すのでしょうか。実はこれは、私がずっと以前、まだかなり若かった頃からの、自分自身に対する大きな命題でもありました。親から生を受けこの世に生まれ、人として育ち、成人すると親と同じように子どもをつくり、命をつないでいくことが、生きるということなのでしょうか。しかし、それでは、人間も他の動物と大して変わらない、なんてことになりやしないでしょうか。

人が人として、人の生を生きるには、先人たちの知恵をお借りするということが大切で、これがあるからそこ、人は他の動物とは区別し得る人間なのであると思うのです。つまり、人は学ぶことによって、はじめて人間となり得るということです。というのも、そんなことを考えているうちに、ふと、これまで読んで感銘を受けた名作の数々が頭に浮かんできたのです。

フランスの作家であるアレクサンドル・デュマは、「モンテクリスト伯」の中で、若き友人に対して主人公にこう言わしめております。それは、「友よ、人類の知恵は、たった二つのことを言っているのだ。それは、待つということと希望するということだ。・・ゆえに、友よ、待て、しかして希望せよ」との言葉であります。さて、この場合の「待つ」ということは、決して、ただ何もせずじっとしているということではありません。自ら為すべき課題に対して努力し、日々、その努力を繰り返せというほどの意味であります。そして、その努力を繰り返すからこそ、自ずから希望も自身の胸中から湧き上がってくるのだということです。

さらに、同じくフランスの文豪であるビクトル・ユゴーは、名著である九十三年の中で、「もし、神が人間の後退をお望みならば、人間の頭のうしろに目をおつけになっていたでしょう」と述べております。また、童話で有名なアンデルセンは、「人生はうるわしい! 頭を垂れるのはよそう! 明るく前進!」との叫び声を放っております。これら先人達の達観は、彼らの後に続くボクたちに対して、これまでの過去や今現在が良かろうが悪かろうが、ともかく前へと進め! 前進せよ! 自ら為すべき課題に対して勇猛果敢に取り組みたまえ! それが己の生を生きるということだ、との教えなのではないでしょうか。

ライタープロフィール

ガクドウさん/男性/年齢:50代/横浜市在住、サラリーマン時代から、文章を書く仕事に携わっていた関係から、現在はライターを職とするようになりました。人からちょっと変っていると言われますが、その分、ちょっと違った角度から物を書くことが出来ると思っております。よろしくお願いします。/ブログ