感動した話
思い出すとジーンとくる…感動した話を紹介します。

愛すべき、わが郷里

2012/01/29

すでに数十年も昔で、ボクがまだ小学生の頃です。ボクの住んでいるところは、横浜市といっても一番はずれの方で、民家の数よりも雑木林や田んぼ、畑の方がよっぽど多いくらいだったのです。市内の鶴見から今の場所に引っ越してきた当初は、風呂といっても煙がモワモワと出る石炭でわかし、共同の井戸の水で、煮炊きから食器洗いまで賄っていたという、そんな具合だったのです。

夏ともなれば、雑木林のあちらこちらで、カブトムシやクワガタなどが沢山木にとまっておりましたし、雑木林の開けた山の斜面などには、ゼンマイやらノビルやらといった山菜が自生し、ゴハンの食卓にもよく上ったものでした。その斜面を下って田んぼの両側には川が流れていて、ザリガニやドジョウ、メダカ、またタニシなどもふんだんにおりました。ちょっと不思議に思われるかもしれませんが、それでもちゃんと、大都会と呼ばれた横浜市なのですよ。

要するに、ボクの住んでいる街、横浜市も数十年前まえまでは、こんな感じだったということです。横浜というと、みなとみらいとか赤レンガ、中華街に山下公園などを連想される方も多いと思います。でも、実際に住んでいる者からいわせれば、そんなのはほんの一部で、ボクの子どもの頃の横浜市といえば、その大多数がこんな環境で生活していたのです。

さて、当時はそんな自然が豊かな環境の中だったので、家の狭い庭でもニワトリのチャボを飼う事が出来たのだと思っております。家の近くにあった養鶏所で、たまたま何かのことで、そこのおじさんにチャボのヒヨコを二羽もらったボクは、喜び勇んで、家の狭い庭に小さな小屋を造り、飼うことにしたのです。

そのヒヨコたちがいくらか育ち、オスとメスの区別がつく頃になると、メスの方が当時多かった野良猫にさらわれてしまいました。それを見て、ボクの母親が一羽では可哀そうだと、当時、家からちょっと離れた商店街にあった鳥屋で、カラスみたいな真っ黒なメスを買ってくるとともに、今度は野良猫にやられないようにと小屋を頑丈にしたのでした。

餌やりからフンの世話、そうしてようやく成長してくれたチャボのツガイ。カラスのように真っ黒なメスチャボが、毎日のように卵を産んでくれました。もちろん、その卵は、世話係であるボクの独占物。よく、生みたてのまだ生温かい卵を割って飲んだことを覚えております。そして、そんなある日のこと、カラスのような真っ黒いメスチャボが卵を一つ抱き始めたのです。

母親に言われて小さな小屋をふた部屋に分け、メスとメスが抱いた卵とオスとを別々にして、約3週間ほどでしょうか。ボクは、母鳥の腹の下から、やはり真っ黒い小さなヒヨコが、ヒョッコリと顔を出しているのを発見したのです。それを飽きもせず、いつまでも眺めていたボク。豊な自然と、その中で生まれた小さな命。ボクにとって、それらのすべてが、いくつになっても決して忘れる事の出来ない感動的な物語なのです。

ライタープロフィール

ガクドウさん/男性/年齢:50代/横浜市在住、サラリーマン時代から、文章を書く仕事に携わっていた関係から、現在はライターを職とするようになりました。人からちょっと変っていると言われますが、その分、ちょっと違った角度から物を書くことが出来ると思っております。よろしくお願いします。/ブログ