人生最悪の瞬間
今まで生きてきた中で最悪だったときはどんなとき?人生最悪の瞬間を紹介します。

祖父の死によって変わった私の人生

2014/00/00

私は昔からおじいちゃん子で育ってきました。祖父は体が弱く、私が小さい頃から色々看病をしており、そのお陰もあってか私が大学を卒業するまで元気に暮らしていました。祖父は私に特に甘く、お小遣いもよくくれましたし、大学費用なども援助してくれて困った事があれば親ではなく祖父に相談したり、喧嘩などもよくするのでまるで友人と接している関係でした。喧嘩では「くたばれじじぃ!」と言ったり祖父は祖父で「お前は川に犬と捨てられていたのを拾ってやって育ててやったのに」などお互いひどい口喧嘩もしていましたね。なぜ祖父はそんな事を言っていたのか判りませんが、あまりにも言うので本当に自分は捨て子だったのかな?と真剣に悩んだ事もありましたね。

丁度祖父が無くなる年に祖父が風邪を引いてしまいました。体が弱かったので風邪などもよく引いており、またいつもの事だと思って甘くみていた事もあり、食事を残した事に私が腹を立ててしまい喧嘩をしてしまいました。私もその頃は仕事をしており、疲れて帰ってきて食事を作ったのに、食事を残された事に妙に腹が立ってしまい、冷たく接してしまいました。その日は家に帰らず外に出てしまったのですが、次の日に携帯に連絡があり「祖父が具合が悪い」という連絡を受けて急いで家に帰りました。

家に帰り祖父の容態を見てみると熱があり、ゾクゾク寒いと言ったりと尋常じゃない容態になっていて、救急車を呼ぶかどうか迷っていたのですが、本人が次の日に病院に行くと言ったので、夜が明けるまで待っていました。その後朝まで交代で祖父の容態を見ていた所、「祖父が呼吸をしていない!」という叫び声が聞こえ、急いで駆けつけると呼吸をしていなく、どんどん顔色が変わっていくのが判りました。

その後急いで救急車を呼んだのですが、間に合わず亡くなってしまいました。もし意識がある内に救急車を呼んでいればまだ助かった命かもと思うと悔やんでも悔やみきれません。その後お葬式などを行いバタバタした日を過ごしており、悲しむ間もありませんでしたが、口喧嘩などを行う事が出来ない事や、一人で何でもやっていかなくてはいけなかったので大変でした。また特に祖父には負の遺産もあったので、その返済を私が行う事になったので順風満帆だった私の人生に負債を作る事になってしまいました。

ある日祖父の死後、部屋を掃除していたのですがちょっと笑ってしまう話があります。祖父はパソコンを使っていたのですが、部屋を片付ける際にパソコンの中身を見た事があり、履歴などを見てみると色々なアダルトサイトを見た経歴や、結構女性のメル友が居たようで、多くの方とメールを行った形跡がありました。病弱な祖父でしたがネット上では現役の男性らしくちょっと微笑ましく思ってしまいました。

祖父が亡くなって痛感したのは、人間いつ死ぬか判らないので「パソコンの中身は消しておこう」と思いましたね。亡くなった後にこのように家族に履歴などを見られたら恥ずかしいですし、厳格だった祖父のイメージがパソコンの履歴によって一気に変わってしまったので、パソコンの管理はしっかりしておこうと思いました。

ライタープロフィール

秋山学さん/男性/年齢:30代/群馬県在住/ライター歴約9年位です。今までに男女問わずライターをさせていただき、ジャンルを問わないライターを心がけています。