私の生きるとは
生きるとは?…生きることについて、みんなの思いを紹介します。

人生は結局、死ぬまでの暇つぶし。それなら楽しい方がいい

2014/01/31

世界にはドストエフスキーとか、アインシュタインとか、南アのマンデラ大統領とか、サッカーのペレとか、明らかに才能と使命を持って生まれてくる人たちがいます。そういう人たちにとって人生というのは、一瞬一瞬が使命を達成するための、無駄にできない貴重な時間でしょう。

でも、そんなのは本当に一握りの人たち。普通の人である自分は、人生という名の膨大な暇な時間を、せっせと楽しくつぶしていくのが使命みたいなものだと思っています。でも、刹那的に「今だけ楽しければいい」と言っているわけではないんです。正しく楽しく暇つぶしを続けるのは、案外覚悟がいる難しいことなのです。

本当の暇つぶしを見つけると、とってもラクになる
現在わたしはパートナーと旅行しながら、オンラインの仕事で細々と生計を立てていますが(微妙に立てられていませんが 笑)、以前は日本で社会人として働いていた時期もありました。少ないながらも稼いだお金で何をしていたかと言うと、服を買ったり、映画を見たり、短期旅行をしたり、友達と飲みに行ったり、などなど、まあ普通の20代女子がするようなことですよね。

考えるとあの頃は、仕事のストレスを解消するため遊びたい、そのお金を稼ぐために仕事をする、という循環を生きていました。それは結局、人生のすべての時間を仕事に裂いているのと同じことだったんだと思います。楽しく暇つぶしをするというコンセプトからはほど遠いものです。

もちろん、仕事が楽しい暇つぶしのひとつになっている人もいるはずで、それはそれですごく幸せでステキなことですよね。でも、いやいやながら仕事にプライベートを侵食されている人が多いのではないでしょうか。

わたしの場合、楽しい暇つぶしであるはずの人生が、仕事によって台なしにされ続けるだろうという危機感があり、覚悟を決めて日本を出ました。周囲の反対もありましたし、金銭的な問題などもあって今だにそこそこ大変ですが、心の中はそれはもう穏やかです。

仕事を辞めて終わりのない旅に出たりしなくても、「楽しく暇つぶしをして生きている」と感じる方法はあると思います。例えば、寂しさを紛らわすために行きたくもない飲み会に行くのを止める。お金を使うと何となくすっきりするからという理由で、欲しくもないものを買ったりしない。(こういうのが刹那的な暇つぶしです) そうして余った時間とお金で、自分が本当は何をしたいのかをじっくり考えて、決まったら実際やってみる。

友人に、派遣で働きながら実家に住んで、衣食住にまったくお金をかけずに、有休は全部使って山登りに打ち込んでいる女子がいます。楽しく暇つぶし人生を生きているいい例だなあ、といつも感心します。

失うものも結構出てきますが、正しい暇つぶしを見つけると、人生を別の方向から眺められて、とてもラクになりますよ。

ライタープロフィール

そま ちひろさん/女性/年齢:30代/中南米(2013年現在)/フリーライターおよび翻訳業。お気に入りの国はインド、住んでみたい国はスペイン、そして現在は南米を縦横断中、という矛盾だらけの人生を満喫しています。著作に「ヘラクレイトスの水」(大宰治賞2009収録)。