面白い話
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「山内容堂公」が白髪頭のジジイだったら、福山「龍馬」は…

2010/09/23

大河ドラマの『龍馬伝』を見ていて、「坂本龍馬と岩崎弥太郎って、ほんとに幼なじみだったのかな」と、気になりました。龍馬ファンや幕末の土佐藩の事情にくわしい人には、「そんなこと、何を今さら……」の話なのかも知れませんが。

以前、四国を旅したとき、「安芸にも行ってみたい」と思って調べてみたら――「野良時計」のある田園風景に魅かれたので――これがなかなか遠かった。

高知駅から土讃本線と土佐くろしお鉄道を乗り継いで、安芸まで快速で55分。龍馬が住んでいた高知城下から、現在の鉄道の営業距離で約40kmありました。メダリスト級のマラソン・ランナーが走っても、2時間はかかろうかという距離です。しかも弥太郎の生家は、そこからバスに揺られること30分……(いえ、私もそこまでは行っていないので、ガイドブックの受け売りですが)。いくら昔の人が健脚でも、ふと思いついて、「ちくと行ってみるぜよ」なんてわけにはいきません。

たぶん10代のころ、弥太郎が高知城下の伯父の家に寄宿していた時期か、吉田東洋に弟子入りしていた時期に、「すれ違ったかもしれない」ぐらいの間柄だったはず(龍馬のほうが1歳下)。しかも、かたやお金持ちのお坊っちゃま、かたやビンボーのどん底。

ま、そこはドラマですから、話が面白くなればいいわけですが。それより、「えっ」と思ったのは、「山内容堂公」のプロフィール。すでに家督は養子に譲って、公的には「隠居」の身。このドラマに限らず、「老公」ってイメージです。

山内容堂(豊信)は、文政10年の生まれ。龍馬は天保6年の生まれです。「親子ほど歳が違うのか」と思いきや、文政10年は西暦に直すと1827年、天保6年は1835年。なんだ、8歳しか違わない。だから、「明治維新」のときは、まだ容堂41歳。今の福山雅治と同い年だったって……。けど、ドラマの容堂公って、総白髪のジジイじゃん。

まぁ、当時は「人生50年」だったし、容堂と龍馬たちとは、身分上は天と地以上の開きがあったのだから、「さきの藩主様」には、そのぐらい圧倒的な貫祿があったってことですか。

ライタープロフィール

オオタクーミンさん/女性/東京在住、もしかして「鉄子」と「歴女」のさきがけだったのかも知れない、ぎりぎりアラフォー世代のライターです。小さいころから、愛読書の1つが時刻表で、プライベートの国内旅行には、たとえ北海道を旅するのにも、飛行機を使うなんてことは、はじめから考えない、まったく日航を応援してない日本人です。