セブ島暮らしの10ヶ条
奥様が一番えらい、親族と距離置く、日本人との交流に注意する、近所付き合いが大変、楽しく暮らす秘訣、などセブ島暮らし10ヶ条を紹介します。

セブ島暮らしは子供と行動を共にする

2013/08/20

セブ島暮らしに、子供を連れて行く場合があります。子供が成人し日本で独立している場合は別ですが、年の差結婚が多く小さい子が多いのです。移住準備として子供に英語と現地語を教えておく必要があります。私は移住の1年前から、家庭でもショッピングでも子供に教えていました。

フィリピンで出生届けを出していれば、比国籍があります。日本国籍だけの場合は、フィリピンで二重国籍の申請を行なう必要があります。マニラのフィリピン移民局で手続きを行ない、1週間ほどで公認書類を受け取れます。

学校の卒業証書、中途編入の場合は学年の終了証明書(成績証)があれば入学できます。日本と違うことは、朝昼夕方の送迎を親がすることです。日本のように、朝玄関から送り出せば良いという訳にはいきません。

私の場合は、朝5時に起きて娘の朝食を作ります。5時半に娘を起こし一緒に朝食ですが、ほとんど毎日茶粥になっています。6時半に娘をバギーに乗せてスクールまで送り、ゲートに入ったのを確認して帰宅します。8時から11時までパソコンの仕事をし、11時半にスクールへ向かいます。スクールのゲート前に待機し娘を乗せて帰宅、ランチを作って食べさせながら授業の話し、12時30分に再びスクールに送り届けます。1時から4時まで自宅で仕事をし、4時半にスクールへ向かい娘をピックアップ。5時から夕食の用意がはじまります。

私の場合は離婚し父娘二人の生活ですから、家事と仕事を両立させなければなりません。初めの内は苦になりませんでしたが、次第に疲れてきました。娘がトライシクルに乗って一人で通学できるようになると、仕事に没頭する事ができました。しかし、問題はこの時から起こっていたのです。

暫くすると娘に笑顔がなくなりました。「どうした!具合が悪いのか?何かあったのか?」と聞いても、「大丈夫!なんでもないよ」と笑います。朝は「いってきます」と出かけ、夕方は「ただいま!」と帰宅してきます。しかし、1ヶ月後にスクールの担任がやってきました。娘は1ヶ月間スクールを無断休学していたそうです。

「ただいま!」といいながら帰宅した娘を呼び事情を問いただすと、
「スクールでイジメられ行きたくない」といいます。
「毎日学校にも行かず何をしていたのか?」と聞くと
「図書館で勉強していた」といいました。

娘は大粒の涙を流しながら、イジメの内容を書き留めました。翌日、娘と一緒にスクールへ行き、校長に面会し娘のメモを渡しました。校長は顔をしかめ、声を荒げて担任と学年担当者を呼び出します。

結果、各クラスにイジメ防止の係りができ、学年別にイジメ防止の担任を設置しました。フィリピン人と日本人の混血はジャピーナと呼ばれ差別を受けます。また、歴史の教科書では、日本帝国軍の侵略や虐待など生々しく書いてあります。

この日を期に、私はパソコンをスクールに持ち込み、父兄の待合室で仕事をはじめました。各教室の傍には椅子が並び、子守や母親が授業を見ながら刺繍を楽しんでいます。その横で私は、この記事を執筆しています。

関連記事
ライタープロフィール

Jack天野/男性/年齢:50代/セブ島在住/13歳より横須賀の将校クラブでドラマーデビュー、20歳でハモンドオルガン奏者、その後ピアノの弾き語りとしてファイアットリージェンシーと契約し東南アジア各国のホテルロービーピアニストを務めました。ちょっとマイナーな部分も含めて、楽しい記事を書きたいと思います。宜しくお願いします。